2017年5月29日月曜日

大分に見る「新しいアート」

 大分県では今、アートが盛んです。
 大分市には大分県立美術館が完成し、別府、日出、竹田、豊後高田など、各地で地域の名称を冠するアートフェスティバルが開催されています。
 と書いても大分県民でさえ首を傾げてしまう方が多いのが現状なのですが。要するに知名度がない、アート関係者が内輪でさわいでいるだけで、一般市民は蚊帳の外なのが現状です。
 そうした経緯から、私はこのアートで町おこしの機運を否定的に捉えてきましたが、これは同時に新しいアートの動きを見ているのではないか、そう、ポジティブに見始めました。

 大分市には画廊が三つしかなく、他の市町村ではほとんど見かけません。
 それなのに大分県内にはアートフェスティバルに参加するために全国各地から移住者が訪れています。
 彼らはアーティストを名乗っています。けれども、画廊には所属していません。
 東京で活躍するアーティストたちはこの時点ですでに新鮮さを感じるそうです。
 大分県のアーティストは、InstagramやTwitterを通して作品を発表しています。また、ネットを通じて作品を販売しています。画廊を通す必要性を全く感じていないのです。
 画廊の主人などに話を聞くと、似非アーティストだとか、彼らの作品に将来性が見いだせないとかそんな話を口を揃えておっしゃいます。そして、行政から補助金をもらっている彼らは「悪」だと、そうした論調になってしまうのです。

 大分のアーティストを見るとき、大きく分類すると、古くからの美術協会に入っているアーティスト、そして彼らの後を追って画廊に属しながら東京など都会で作品を発表する若手アーティストたちと、SNSで作品を発表し主に地元で作品を発表しているアーティストに分かれるのです。
 そして、前者は後者を、こう書くと語弊があるかもしれませんが、蔑んでいます。
 実際問題として、どちらがより活躍しているのかはわかりません。旧来の画壇で作品を発表している人たちと、SNSで多くのフォロワーを抱え作品を発表している人たちとでは。

 大分の場合は大分県立芸術文化短期大学という、美術系の短大があるものの、そもそも旧来の画壇自体があまり大きくなかったので、とりわけ画廊に属さない新しいアーティストたちに、人数でも作品数でも押されているのが現実です。新しいアーティストたちは、日頃はSNSをやりながら、行政が主導するアートフェスティバルで一年に一度、作品を発表します。
 まあこのアートフェスティバル自体、市民は参加せず、認知度は高くないのですが、だからといって旧来の画壇の存在感というのもあまり大きくないわけで。
 そこに目をつけて、旧来のアーティストたちは、補助金の無駄遣い、 よそ者が自分たちの縄張りを荒らして、と怒っています。

 東京で活躍しているアーティストから見れば、何を田舎で、小さな団体同士で争って、とそう映るでしょう。実際、大分で芽が出たアーティストはみな東京に行ってしまいます。そして残ったアーティストたちがSNSで少しずつファンを増やしていきます。
 この構図は、「プロになれなかった絵師たちがTwitterで敗者復活戦をやっている」言説にも通じるところがあります。東京で成功しなかったアーティストが、大分でがんばっている。実際に、大分のアーティストには、かつて東京の画廊に所属していたものの契約を打ち切られた人が大勢居ます。

 とまあ、身も蓋もない話になってきましたので、今回はこの辺で。特に何が言いたかったわけではなく、大分のアートの現状を書き留めておくことが目的です。
 ゲンシシャには三重や鳥取からお客様がいらっしゃるのですが、彼らにこうした話をすると、口を揃えてこうおっしゃいます。「うちも同じだよ」と。
 なので、東京や大阪の方には、地方のアートはこういうものだと知ってもらい、地方の方々には、やはり「うちと同じだ」と感じるのか、今一度問いかけた次第です。