2016年6月25日土曜日

書肆ゲンシシャはなぜ別府にあるのか

 書肆ゲンシシャを開設して、なぜ東京や大阪など大都市圏にないのか、遠いので残念ながら訪問することができない、といった声が多く寄せられています。

 なぜ書肆ゲンシシャは別府にあるのか。その理由について今回は書くことにいたします。

①東京一極集中に対する反感と地方から情報を発信することの大切さ

 私のTwitterにおけるRyuugokuアカウントのフォロワーは40%近くが東京の方々です。
 言うまでもなく、東京には人、富、文化、娯楽、ありとあらゆるものが一極集中しています。
 東京に居れば何でも手に入る---私もそう考えていた時期がありました。
 けれども、最近の生活スタイルを照らし合わせてみれば、ネットがあれば何でも手に入る時代へと移り変わっています。ネットさえあれば、地方にあっても不自由はありません。
 書肆ゲンシシャの販売ルートをネット上に確保しておけば、東京にあるのとさして変わりはないのです。
 実際に触れてみることに、会うことに価値を見出すことを私は否定しません。むしろ肯定します。
 東京にないものを、別府まで来て鑑賞する。そうしたスタイルがあっても良いのではないか。
 幸い別府は観光地です。ここでしかないもの、ここでしか見られないものを多く蒐集し、展示、販売するスペースとして書肆ゲンシシャは機能します。

②別府に対する愛郷心

 率直に言って、生まれ育った別府という町に対する愛郷心も大きく影響しています。
 私は中高時代を瀬戸内海を挟んだ対岸の松山で過ごしました。中高には大阪、神戸、福岡といった大都市から入学した人間も多く、まして大分県出身者は私ひとりだけでしたから、肩身の狭い思いをしました。
 近いようで遠い町松山で、別府という“田舎”出身ということで馬鹿にされるようなこともありました。松山には道後温泉があり、聖徳太子や夏目漱石が入った道後は、別府より格上だとされていたのです。
 そうした中で、少し歪な形ながら、私の別府に対する愛郷心は熟成されていきました。
 そして今、微力ながら別府の活性化のために行動したいという思いを実行に移したのです。

③別府があらかじめ持っていた文化

 別府には秘宝館がありました。町中の商店街に行けば、今でも妖しい置物が多々見受けられます。また、温泉旅館が配っていたとされるヌード写真、いわゆる“温泉写真”など、温泉地には性的なものが溢れているのです。
 商店街に堂々とソープがあるのを見て驚かれた観光客も多いでしょう。
 また、古くは地獄めぐりの一つに、八幡地獄というものがあって、鬼や鵺のミイラが置かれていました。
 別府にはもともとエロ・グロ・ナンセンスの文化の土壌があったのです。
 これが書肆ゲンシシャのコンセプトにもちょうど合う、ぴったりの場所だったのです。

 以上三点が、書肆ゲンシシャが別府にある大きな理由です。

 ぜひ別府にいらして、書肆ゲンシシャに足を運んでください。よろしくお願いいたします。

2016年6月14日火曜日

夢から醒めて

 前回からの続きになります。
 私は学部を卒業した後、法科大学院に進み、司法試験に受かるべく勉学に励んでいました。
 けれども、その日は突然やって来ました。

 ありきたりかもしれません。ですが、その日は2011年3月11日。東日本大震災の日でした。
 私は代々木上原の自宅で被災しました。偶然にも本棚がその日届くことになっていて、本は床に平積みにしていたものですから、怪我をすることは免れました。私は臆病者ですから、原発が危ないという情報をいち早く察知すると、別府に帰郷しました。
 ですが、東京にどうしても来て欲しいという昔からの友人の要望で、20日頃には東京にまた戻りました。 友人と会った日はちょうど雨でした。この雨に濡れてよいものか、おぞましい恐怖を感じました。

 私は池田山の、菅直人首相の秘書を訪ねました。テレビでは変わらず原発事故の危険性をうったえていましたが、大丈夫だろう、とのことでしたので、平和にも飲み会にうつつを抜かしていました。
 四月から大学院が始まり、揺れは続いていましたが、試験中、大きな揺れの中で全く動じることなく答案を書き続ける女学生の姿を見て、すごいなと素朴にも思っていました。
 津波に流される車の映像はやはり衝撃的でしたし、何しろ揺れを実際に味わったことは私の深層心理に大きな影響を与えました。

 その後、司法試験の方も上手くいかず、鬱屈として毎日を過ごしていました。将来に絶望した私は引きこもりになり、池田山の集まりにも顔を出さなくなりました。そして黙々と本を読み、芸術にふれる日々が始まりました。とにかく一日に何冊も小説、マンガ、哲学書を読み、東京中の美術館や画廊をまわる毎日が始まったのです。

 けれども、 このままでは無職です。法律系の資格をとって細々と暮らそうか、と思っていた矢先、この独学でまなんだ本や美術の知識がどうにかして活かせないものか、そう考え始めました。
 そして幸運にも表象文化論を学ぶ大学院に受かり、 マンガ史の研究を始めることになったのです。
 法学部卒の私にとって大学院でいきなり文学をまなぶという行為は大変なものでしたが、法科大学院では法の運用の仕方やその構造について教えられたものの、法はなぜ存在するのか、という根本的な議論がなされてないということに気が付き、文学的視点をもって法律を見ることの大切さを知る良い機会になりました。
 文学部の方々は法的解釈に関してよくわからず、法学部の方々は文学的な物事の考え方をうまく理解できない。 恐らく思考方法に決定的な違いがあるのでしょう。
 かつてある大学教授は石原慎太郎氏について、「彼は法学部を出ているが、考え方は文学部的だ」と仰っていました。叶うならばあの教授に、法学的思考と文学的思考の違いについて問うてみたいものです。

 かつて学部時代に表現の自由について学んでいた私は、マンガ史の研究の中でも表現規制について興味を抱きました。すると、かつて小説がわいせつであると規制された時代はもはや過ぎ去り、いまやマンガが矢面に立たされている。しかも高尚な法学理論では見えなかったが、よく事件の経緯を見てみると、わいせつ物頒布罪は恣意的な運用がなされていることがわかったのです。
 苦しみながら論文を書き進めるうちに、どうせなら自分がプレーヤーになってみてはどうだろう、表現を発信する側になってみてはどうか、そう思うようになりました。
 それは危険なことでしたが、同時に面白いものでした。禁忌を犯す快楽を私は幼い頃から求めていましたし、私にはお似合いの仕事でした。
 ゲンシシャがエロ・グロ・ナンセンスをコンセプトにしているのにはこうした経緯があったからです。司法試験の挫折をもってやけくそになっているのでは、という反論もあるでしょう。そうした批判は甘んじて受けます。

 数々の失敗を繰り返すうちに、とにかく資料収集能力に関しては他人よりも一歩抜きん出た能力を持っていることがわかりました。せっかくなのでそれを活かしたことをやってみよう。仕事になるかどうかはわかりません。自分の能力を最大限に活かす道を進んでいきます。

 「自分の信じる道」とは、自分の経験や能力を最大限活かせる道、つまり表現の自由に関する知識と、資料収集能力が発揮できる道です。うわべを取り繕うのではない、本当の自分の力をこれから培っていく次第です。

日常という名の夢

 これから書くことは私の日常です。東京で過ごすうちに遭った出来事、その一部です。
 しかし、これらは今の私にとっては夢のような出来事です。本当にあったのかもわからないような。
 こうした物事を書くきっかけとなったのは、昨日の安倍首相による別府駅前の街頭演説です。
 そこで 私は思い出しました。かつて東京で起きたこと、出会った人々、現在住んでいる別府では想像できない奇遇な出来事の数々を。

 私は別府で生まれ、思春期を寮の中で過ごしました。寮にはパソコンや携帯電話を持ち込むことができず、テレビすら百人いて一台だけ。まさに外界から閉ざされた環境で育ちました。
 中でも思い出深いのは、アメリカ同時多発テロ事件。テレビがない状況で、ラジオにかじりついて何が起こったのか、懸命に把握しようとしていました。

 東京に出ると、私の生活環境は一変しました。
 それには私の親族による影響が大きかった。
 私の叔母は品川区の池田山という高級住宅街に屋敷を構え、新橋などにビルを所有する富裕層でした。かくして私自身も代々木上原というハイソな住宅街の、ユニクロの柳井正会長の家の近くに住んでいました。
 叔母が案内してくれた人々、その方々はまさに東京の上流階級で、別府とは比べ物にならない裕福な生活に目が眩む思いでした。
 私は大学で法学を、特に憲法学についてまなぶ学生でした。中学から敬愛していた澁澤龍彦の「悪徳の栄え」事件は中でも私の興味を惹く判例でした。
 そこから表現の自由とは何か、という問いが生まれ、やがて当時世間を賑わせていた児童ポルノ禁止法について知りたいと考えるようになりました。

 そこで、奇遇にも私の叔父が秘書を務めていたことから、当時の、小泉内閣の法務大臣である森山眞弓議員と会う機会に恵まれたのです。森山議員は児童ポルノ禁止法に関して尽力されている方で、ぜひ会っておきたい人物でした。
 議員会館で森山議員と出会った時、私は肩書で人を判断する人間ではありませんが、この方にはどうしても敵わないと直感的に感じ取りました。 その雰囲気、眼力、容姿すべてにおいて圧倒的な存在感があるお方でした。女性初の官房長官を務め、女性初の総理大臣かと言われたこともあるお方とはその一回きりの交流でしたが、大変貴重な体験になりました。

 それは同時に政治力に取り憑かれた時期でもありました。叔母と同じ池田山の、叔母の友人にあたる方のご子息が菅直人議員のやはり秘書を務めていた関係で、図らずも、自由民主党と民主党の共に執行部にあたる方々の言うこと、為すことを身近に感じられた幸運な日々でした。
 そこでは、 ネット上ではやれ自民が、民主がと言うものの、実際は自民党も民主党も上流階級の方々を通して交流をもっている、比較的友好的な関係を築いているということを知りました。
 また、それほどまでに力を持っている東京の上流階級の恐さを実感する日々でもありました。

  池田山と松濤にお住まいなのは、政治家、芸能人、芸術家、宗教関係などそれぞれのトップに君臨する方々とそのご子息でした。そこでは学歴も関係ない、とは言え、学習院や日本女子など一定の知名度と難易度をもつ大学に通われていましたが、まさに天上人のような生活を送ってらっしゃるのです。ご子息たちは幼い頃から茶道、華道、着付けを習い、しかるべき家の妻になるべく花嫁修業を小学生から始めていました。

  そうした生活を送るうちに、私は驕ってしまいました。まだ大学生の青二才、仕方がないことかも知れませんが、自分の力でもないのにそうした人々の中で暮らすうちに、感覚が麻痺してきたのです。

 私は私自身の力をつけるために、故郷の別府に戻ってきました。確かに東京に残り、人脈を活かした仕事をするのが器用な生き方というものでしょう。しかし、あくまでも不器用に、自分の信じる道を貫き通したくなったのです。その「自分の信じる道」についてはまた日を改めて書きたいと思います。

 自分語りが長くなりました。どうかご容赦を。

2016年6月9日木曜日

言葉のコラージュ

 私は幼いころ、本を読むのが苦手でした。
 なにしろ読むのが遅い。ドストエフスキー『罪と罰』を一ヶ月かけて上巻を読み終えたあと、あまりもの疲労に下巻を読むことができなかった―――今では恥ずかしい思い出です。

 大学院生になって、速読術を身につけてからは、一日に三冊の本を読むようになりました。当然本屋で本を買ったのでは財布が追いつかず、図書館、それも国会図書館にひきこもって読書を続ける日々を過ごしていました。

 そうしている内に編み出したのが、「言葉のコラージュ」です。
 これが私の技、作品を生み出す唯一の手段といえます。
 小説の中に惹かれるフレーズをいくつか見つけ、それを継ぎ接ぎして文章をつくる。
 それが「言葉のコラージュ」。

 たとえば、
 『戸川昌子集』
 秘密クラブにて注文に応じて「死姦」「生き埋め」といった美しく豪華な料理が振る舞われる。「絞殺」では、黄色い駝鳥の皮の手袋とハイヒールだけを身につけた女性を材料にし、回転する円卓の上に載せ、パーティーに参加した男たちが交互に手術用のゴム製の手袋をはめ首を絞める。

 『小酒井不木集』
 人間の死後、心臓を切り取り摂氏三十七度に保たれた箱に入れ液に浸すと、渚に泳ぎ寄る水母のように拍動を始める。医学者は心臓が動く度に発生させる電気を計測し、恋愛曲線の製作を試みる。失恋した男の血液を失恋した女の心臓に通すと恋愛の極致が表れるという奇想に舌を巻く。

 これらは感想文のようにも見えますが、なんのことはない、小説の一節を繋ぎあわせてつくられた「言葉のコラージュ」なのです。

 かつて澁澤龍彦は言葉をコラージュする術を身につけ、多くの文を書いた。
 そのやり方を発展させる形でこの「言葉のコラージュ」を続けていきます。

2016年6月5日日曜日

豆塚エリ『いつだって溺れるのは』

 この度、大分県別府市在住の作家、豆塚エリさんが太宰治賞の最終選考に残り、大分県内では新聞をはじめ、各種メディアでそのことが報道されました。
 惜しくも受賞は逃したものの、叙情性豊かな、読む者に生きる感動を呼び起こさせる佳作です。

 豆塚エリ『いつだって溺れるのは』読了。
 激しいまでに感情を揺さぶられる作品だ。淀みなく綴られていく出来事にひとつひとつ感情が動かされ、登場人物の死でその堤防は決壊し洪水として溢れ出す。
 詩的あるいは私的に綴られた文章にどこまで自身の経験が詰め込まれているのか、現実と架空の狭間にたゆたう主人公と読者の感情が呼応する。
 題名から川上弘美の『溺レる』を思い出したが、別府から見た松山への憧憬が、地元あるいは作者自身の心に根ざした重さを感じさせる。
 女という性が障碍によって増幅される本作品は女性には感動を、男性には畏れを与えるだろう。
 いずれにせよ人生の重みを、歓び、悲しみといった感情の渦を思い出させてくれる佳作である。

 以上は、6月5日、別府市内の商店街で彼女の作品を読んだ際に書いた感想です。
 選考委員の方々の選評が待ち遠しい。

 太宰治賞の最終候補作を収録する『太宰治賞2016』は6月16日に筑摩書房から発売、Amazonでも販売されます。
 書肆ゲンシシャでは彼女のトークイベントも企画中です。
 よろしくお願いいたします。