2019年8月6日火曜日

あいちトリエンナーレ2019から危惧されるこれからの問題

 あいちトリエンナーレ2019の中の「表現の不自由展」における少女像の展示について、開幕と同時にネットで炎上しています。
 少女像や、昭和天皇の写真を焼く作品が、そもそもアートと呼べるものなのか。
 津田大介氏本人の思想的背景。
 テロ予告による中止か、批判を受けての中止か。
 そうした議論についてはひとまず措きます。

 今回述べる問題は、税金を支出して開催される芸術祭における「表現の自由」のあり方についてです。
 税金を支出するかたちで、芸術祭が、これはアートプロジェクトと呼ばれたり、地域アートと呼ばれたりするものですが、全国各地で開催されています。
 このことについて、そもそも税金をアートに拠出する是非に加え、公の団体が関わるアートイベントにおいて、表現の自由が担保されないのではないかという議論は今までも繰り返されてきました。

アートと地方の危険な関係〜「アートフェス」はいつまで続くのか?

 公的機関が絡む以上、そこに選ばれるアーティストも、そもそも恣意的に選ばれた、行政にとって都合の良い芸術家たちで占められる可能性があり、かつ、税金を支出している以上、芸術祭を開催する土地にとってメリット(経済効果etc)がある展示にしなければならないのではないか。
  となると、行政の思惑がかなり介入してくることによって、自由な表現ができなくなるのではないか、と危惧する声がこれまでもあがっていました。

 今回の「表現の不自由展」の炎上により、一層、自由な表現というものが萎縮する、 温和で、当たり障りのないアートが地方の芸術祭でますます顕著になるのではないか。
 あるいは、この騒動に目をつけたアーティストが、逆に、テロ的に、政治を絡めた過激な展示をしかけてくるのではないか。

 これがこの先の芸術祭のあり方について危惧される展開です。
 実際、明治神宮外苑のアートイベント「東京デザインウィーク2016」で火災が起きてから、各地の芸術祭でも、事故に気を配るよう、保険に入るよう義務付けられました。
 画廊や美術館が少ない地方においては、芸術祭が作品を発表する機会として重宝されてきました。
 その芸術祭のあり方自体、これから問われていくことになるでしょう。