2017年3月22日水曜日

リュウゴク、ゲンシシャが目指すところ

 ゲンシシャが作り出した基本的なスタイルは、「リュウゴク」アカウントを現実に持ってくることでした。すなわち、今まで見たことのない、主に海外の、良質な視覚をいまだそれを知らない人々にもたらすこと、それがゲンシシャの存在理由です。
 そのために、国会図書館にない本を蒐集したり、死後写真など海外の文化を紹介する施設として運営しています。もとから採算度外視でやっているので、いちいち赤字になっても気にしていません。
 けれども、最近その方向性に不安定な部分が出てきているので、今一度、リュウゴク、そしてゲンシシャが目指すところを書いておこうと思います。

  リュウゴクが目指すのは梅原北明です。昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス文化を代表する作家、編集者。破天荒な人物でエロティックな本を出版しては発禁になり、エロがだめならグロはどうだとグロテスクなものをひたすら出版し続けました。それと同時に、海外の知られざる文学を日本に紹介したことでも大いに評価できるでしょう。
 狂気の人物、と言ってしまえばそれまでですが、豪華装丁本に見える美的センス、あらかじめ予約を募り刊行するスタイル、全巻購入者への特典の配布など、芸術、商売、その両面から評価されるべき人物だと捉えています。

 次に目指すのが、三田平凡寺。マンガ研究者としての私の師匠である夏目房之介先生の、夏目漱石と並ぶ著名な祖父です。珍品蒐集家として知られ、大便を石膏で型取り、模型を作って金粉を塗って保存するなど様々な奇行で知られました。家に蒐集品を陳列して、客に見せていたという、まさに今のゲンシシャの在り方の先駆者とも呼べる人物です。

 二人とも奇妙な人物で、もちろん面識があるわけではなく、その人となりがわかるわけではありませんが、あくまで本や資料に目を通しながら、その生き方を参考にしています。
 もともとどのコミュニティーにいても馴染めなかった、男色の気があったり、死への興味が異常に強かったりする私ですから、この社会のはみ出し者として生きていく所存であります。

 幼い頃から女性に親しみ、スポーツよりままごとをして遊んでいた、男色の気がある私を、両親は全寮制の男子校に送り込み矯正しようと試みました。けれども、結果、ますますはみ出し者としての気質が強くなりました。男子校という自分の変態的な趣味趣向を惜しみなくさらけ出せる場所で、いっそうの変態として成長したのです。中2の頃にサドやバタイユに心酔し、私の一生はほぼ決定されたと言っても過言ではありません。同時期に不安神経症が悪化し、異常に感受性が強い人間になりました。

 自分が狂っていると知っている人間は狂人ではない。この言葉を胸に刻み、なんとか正気を保ちながら、これからもリュウゴク、ゲンシシャを運営していきます。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

2017年3月12日日曜日

文系院卒は貧困の始まり

 ネット上を見ても否定的なことばかり書かれていますが、実際に、文系院卒は学部卒に対して、金銭面においては大変不利な生活を強いられています。
 今回はその実態について語ります。

 私自身も文系の院を修了し、大学で非常勤講師として講義をしています。
 給料は、一コマ90分あたり6000円。交通費などは自腹です。
 レジュメ制作に半日ほどかけていますから、単純に時給換算するとコンビニのアルバイトをしているのと同じか、それより低い給料で働いています。また、大学が僻地にあることから、電車代など往復で1000円ほどかかります。
 つまり、半ばボランティアとして講義をしているような感じです。
 研究者生活をしていると教歴が重要になりますから、その箔付けのためにやっています。
 もちろん講義に必要な書籍代などは自分で支払っています。
 院の研究など好きでやっているのだから、と言われればそれまでですが、割に合わない仕事だと感じています。

 知人の話に移りましょう。
 私の知人、仮にAとしておきます。Aは名門の中高一貫校を卒業した後、大学は東大受験に失敗し、慶応大の法学部に進みました。
 当時は2000年代、法学部では法科大学院進学がブームでした。東大受験に失敗した彼は、そのコンプレックスから抜け出せず、ふたたび東大の法科大学院を受験しました。けれどもまたも敗れ、中央大の法科大学院に進学しました。
 この頃、故郷の親が体を壊し、奨学金を借りるようになりました。
 法科大学院修了後、二回目の受験で司法試験に合格しました。学費さえままならないまま、伊藤塾などの司法試験予備校に通うあいだに借金はみるみるうちに膨れ上がっていきました。
 司法修習が終わったあと、Aは弁護士として働くことになりました。体を壊した親のため、田舎に帰って独立(即独)したのです。
 けれども、当時はすでに弁護士事務所の乱立時代で、ほとんど仕事はありません。年収も400万円ほどで、高校時代の同期の高い年収と自分を比較し、さらなるコンプレックスに悩まされることになります。借金も事務所開業費用を合わせて1000万円を超え、その返済をするのでやっとの暮らしが続いています。
 やがてAは鬱病を発症し、無気力な日々を送っています。後に残ったのは借金だけ。慶応大卒業時に新卒として就職したほうがどれだけ楽だったかと嘆いています。

 文系院卒の苦悩はこれだけではありません。40歳を超えても非常勤講師のまま、不安定な暮らしをされている方が山ほどいます。
 非常勤講師に就けたのはいい方で、博士号取得後、まったく関係ない肉体労働に就いている人間もいます。 Aの周りの法務博士たちも、司法試験不合格だった人々は行方不明、生きているかさえわからないと言います。
 暗い話が続きましたが、これも現代日本のひとつの側面なのです。
 文系において院に進学するのはハイリスク・ローリターンです。これが法科大学院の不人気、予備試験から司法試験を目指す人が増えている要因のひとつです。
 金銭的に余裕がないかぎり、学部新卒で就職しましょう。