2017年1月23日月曜日

東京で見たい展示

 2017年1月下旬、一年ぶりに東京に行くことから、ぜひ行ってみたい展示をリストにして書き出してみることにした。東京在住時は、一ヶ月に三十箇所ほど美術館や画廊を巡ったものだが、その頃のことが思い出される。

・瑛九 東京国立近代美術館 ~2/12
・ナムジュン・パイク ワタリウム美術館 ~1/29
・粟津則雄 練馬区立美術館 ~2/12
・アン・コーリアー ラットホールギャラリー ~2/19
・ブラティスラヴァ世界絵本原画展 千葉市美術館 ~2/26
・篠山紀信 横浜美術館 ~2/28
・お笑い江戸名所 太田美術館 ~1/29
・岩佐又兵衛 出光美術館 ~2/5
・Star Tale KEN NAKAHASHI ~2/4
山本悍右 タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム ~2/18
・淺井裕介 ナディッフアパート ~2/5
・七宝 東京都庭園美術館 ~4/9
・クインテットⅢ 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 ~2/19
・ジャパニーズ・シュルレアリスト タカ・イシイギャラリー東京 ~2/4
・エリザベス・ペイトン 原美術館 ~5/7
・北島敬三 フォトグラファーズ・ギャラリー ~2/19
・ティツィアーノ 東京都美術館 ~4/2
・合田佐和子 みうらじろうギャラリー ~2/12
・1950年代の日本美術 神奈川県立近代美術館<葉山館> ~3/26

 本棚を見るとその人が分かるというように、観たい展示を書き連ねてみても、僕の趣味趣向が分かるかもしれない。
 みなさまの参考になれば幸いです。
 

2017年1月14日土曜日

別府

 今回は別府について書きます。
 他人の目を気にせずに突っ走ることが多い僕ですが、このブログでも同じことが起きていて、この別府という街に詳しくない人、まあそういう人がほとんどなわけですが、その人たちを置いてけぼりにしていることに気づきました。
 なので、今回は別府という街について概論のようなものを書きたい。では始めます。

 別府は移民文化の街とはよく言われたもので、古く、といっても別府の歴史は150年ほどしかないのですが、小倉に八幡製鉄所と言うものが出来まして、別府にも炭鉱に勤める、あるいは炭鉱を経営している大金持ちがいた。そういう人たちが遊郭であそんでいた。それが、別府の「起源」とされる浜脇の成り立ちです。
 この頃はまだ現在の別府駅のあたりは野原で、狸などが住まう平和な場所でした。浜脇というのは、別府の中でも大分に近い場所でして、海と山に囲まれた狭い地域でした。
 しかし、やがて炭鉱夫たちが居なくなると、衰退しはじめ、今では浜脇地域は再開発された新しいビルと古びた空き家が集まる下町、東京で言うところの北千住とかそのあたりの雰囲気を醸し出しています。

 それに対して、荘園や実相寺、新別府といった山の手の住宅街が、戦前に、田園調布を手本に作り出されました。荘園地区の中でも南荘園町は六角形の放射線状の道路を有し、その真中には地域の住民だけが入れる温泉があるという、まさに田園調布と似た景観をもっています。
 東京で言うところの世田谷区といったところでしょうか。

 それより古い、山の手の住宅街として、山の手町や青山町があります。こちらは福岡の麻生、そう、今の財務大臣の麻生氏、や、朝の連続テレビ小説で有名な柳原白蓮などの豪邸がかつては立ち並んでいたそうです。現在ではいずれも解体され、普通の住宅街になっていますが、別府駅にも近く、便利な地区になっています。東京で言うところの渋谷区といっていいでしょう。
 ゲンシシャが位置しているのもここです。

 さらに北側、すなわち浜脇とは反対側には亀川という地域がありまして、ここは隣町の日出町と関係が深い漁村でした。今ではニュータウンが建設されていて、郊外型住宅地の様相をみせています。東京で言うところの多摩です。

 そんな様々な街が、本当に狭い、山と海に囲まれた地域にあって、各々が各々の特性を持ち、混じり合わないところが別府の面白い性質なのです。
 荘園の人間はやい浜脇は遊郭で儲けたやつらが住むところだ、と言えば、浜脇は荘園のことを新興住宅街といって自分たちこそが本当の別府市民だと主張する。
 亀川は亀川で他の別府とはちがう独自の文化圏をつくり、別府駅周辺に行くことを亀川の人間は「別府に行く」と言うのです。

 さらに面白くしているのが、先に述べた移民文化の街である点で、たとえば荘園地区には大分市や大分県内の別の都市からの移住者が多く、亀川は日出町からの人間が多く、山の手町、青山町も別荘地だったわけですから、県外からの移住者が多い。もっとも古い浜脇ですら、遊郭で一儲けしてやろうと意図してやってきた隣県の愛媛や福岡の人間が多いのです。
 こうなると、もうごちゃまぜもいいところで、統一感なんてあったもんじゃありません。

 現代になってからは立命館アジア太平洋大学が山奥に建設され、その学生たち、半分以上が留学生なのですが、その方たちが別府市内に住み始める。 もはや国境すら越えてきているのです。

 さらに、このブログで前に述べた通り、別府は住居費や食費が安いものだから、その安さに惹かれてよそから人々が押し寄せます。近年はリタイアされた高齢者の方々が温泉付きの高層マンションに移住してきています。 そして、混浴温泉世界と名付けられた芸術祭を契機にアーティストの方々もどんどん集まってきて、夜な夜なパーティー、騒いでいるわけです。

 肝心の別府駅前について言い忘れましたが、観光客が訪れるこの地域は、古びた建物がたちならび、レトロ感を売りにしているさながら浅草のようなところです。 一応別府の中心市街地ですが、やや遠い所にゆめタウンという大型の商業施設ができ、トキハという地元の百貨店が衰退したことから、別府駅前ですがら寂れた地域になっています。風情があるといえば聞こえはいいですが。
 さらに、鉄輪地域に観光客が吸い取られるわけですから、ますます空洞化が著しい。鉄輪は新別府よりもさらに奥にあります。地獄めぐりの地獄があるのもここです。別府で一番栄えているのは鉄輪なのではないか。新しい建物も多い方だし。

 このように、別府といっても、まさしく多様性の街でして、場所によって、市民の考え方や感じ方もまるで異なります。こんな混沌とした街でワイワイやるのもわるくない。特に、別府駅前や浜脇は都会からの観光客にはエグゾティスム、異国情緒を感じさせるようです。別府といえば地獄めぐり、すなわち鉄輪地域を思い描く方も多いですが、奥深い街だということが少しでも伝わりましたら幸いです。