2017年2月28日火曜日

トランプはなぜ田舎から来たのか

 アメリカで晴れて大統領になったトランプ氏、彼を支持したのは田舎の人たちでした。
 ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市圏ではクリントン氏が支持されました。
 なぜ、そのようなことが起きたのか、都市部と地方との格差、それ以上の、地方独特のディストピアを、東京から地方に移住してきた私は感じざるを得ない状況にあります。

 地方都市では、日本のものを例にしますが、大学に進学するとなると、地方国立大学か、それがだめなら私立大学と、行き先が限られています。
 そして就職するにも、収入の良い職業といえば、銀行、 インフラなど本当に限られたものなのです。
 マスコミ、地方紙も衰退し、薄給に苦しんでいます。もはや地方自治体を批判する余力はなく、なんとなく、今日はどこそこで祭りがあったといったほのぼのしたローカルな話題を載せるだけです。
 真綿で首を絞められるような、選択肢のない幸福な社会が、地方ではすでに実現されているのです。
 幅広い選択肢を求めるならば、都市部にいかざるを得ない。
 町内会や自治会で周りはみな顔見知り、たまに気晴らしに行くにもいつもと同じ店。
 コンビニも近くの一軒のみで、ましてや本屋なんて市内に数店舗しかない。
 こんなにネット上に情報があふれていても、それを探す術すらもたない。
 それでいて、なんとなく、みなで微笑みながら上辺だけの平和を築き上げている。

 私は都会でアウトサイダーとなり、その突破口として地方に移り住みました。
 けれども、なんてことはない、ディストピアはSF的な高層ビル群で生まれるのではない、地方都市ではすでに達成されたものだったのです。
 そして、その地方に住む人々がトランプ氏のような政治家を支持し、都市部にまでディストピアを広めようとしている。
 監獄のような、交通手段もろくに発達していない地方都市。東京を知っているとなおさら身にしみます。

 イベントに行っても、たとえ車で一時間ほどの距離があっても、出会うのは顔なじみばかり。
 Facebookが生み出した人と人とのブロック経済により、レイヤーが生まれ、先に述べた上辺だけの平和をつくる。 Facebookは仲間内の情報が世界全てだと近視眼的に思わせるシステムです。それが人口の少ない地方で盛んになると、いよいよ監獄が誕生します。

 私は悲観的すぎるでしょうか。そうであることを望みます。

2017年2月27日月曜日

学問のヒエラルキー

「法学部に来たみなさんは賢明だ」
 私は学部を法学部で過ごし、院を文学で修了した。
 二つの学問をまなんで感じたのが、学問の間にあるヒエラルキーだ。

「文学など意味がない」「法学は文学より尊い」
 法学部で過ごすうちに幾度も耳にした台詞だ。
 特に、裁判官や検察官出身の教授にこうした物言いをする人物が多かった。
 法学自体が権力志向な人々を引き寄せる学問だから仕方ない。
 医学部を頂点とした理系のヒエラルキーを語り、同じように法学部を文系学問の頂点に置く考え方をする人々が非常に多かったのだ。
 官僚も、司法も、法学部出身者がほとんどを占める。文学部出身者は出版社や新聞社などいわゆる外野的な部門に就職していく。
 法学部では、法学の理論は教えても、文学部の人たちが言うような、司法の不透明性だの、信用が置けない裁判官だのといった話は、法哲学の一部を除いて教えない。
 法学は尊い学問なのだから、裁判所は神聖な領域で、マスコミなんてゲスなやつらの言うことは聞く必要が無いのだ。
 表ではポリティカル・コレクトネスな振る舞いを求めても、そもそも学問の場で、このように階層化が起きているのは、堪ったものではない。
 実際に文学部の教授に聞いてみても、「法学は文学より上位の学問です」とする答えが返ってくることもあった。
 神学・法学・医学が「上級学部」であり、他は「一般教養」に過ぎないという旧来の考え方を踏襲しているのだ。
 確かに、西洋の、ヨーロッパの古い大学では神学・法学・医学の三つの学問が尊ばれた。けれども、そんな古い話をいまだにしていても何も始まらないではないか。
 そもそも大学教授自体、保守的な人物が多い職種なので仕方ないことかもしれない。

 文部科学省が法科大学院を認可することで、法学部出身者以外にも法律家の世界への門戸を開いた。けれどもその目論見は外れたのだ。法学部出身者以外のために設置したはずの未修者コースに、実際には法学部出身者が殺到した。それは法学という特殊な、専門的な学問を他学部の学生がなんだかとっつきにくいと考えたからかもしれない。
 実際、法科大学院の講義中に文学部出身の女性が、哲学やジェンダー学を引用しながら発言したことがあったが、検察官出身の教授はそれを一蹴した。
「そんなママゴトみたいなこと続けていては法学は身につきませんよ」
 哲学や、ジェンダー学は余程の説得力がなければ、法学の人間を頷かせられない。論理力の差というより、もともと男性が多い法学の分野において、特にジェンダー学は毛嫌いされる。
 もはや感覚的なものだが、そもそも判決というものが、自由心証主義という、裁判官の保障された内心の自由によって導き出される答えなのだから仕方ない。
 法学の人間はよく「社会通念上」という言葉を使いたがる。その人間が思う「一般常識」に照らして、物事を判断するのだ。その「一般常識」は表向きには中立的だが、世の中に絶対的に中立的な人間などいるはずがない、なんらかのバイアスがかかっている。
 その「一般常識」はそもそも法学畑の人間にしか共有できないものだろう。法学の人間はよくこんなことを言う。文学なんて偏った学問だ、と。
 それはある意味正しい。文学の院に進んで、私が進んだ場所が哲学寄りの場所だったせいもあるだろうが、法学的には非常識な発言も、面白いから採用される。法学は判例、すなわち過去の判決文を読み込んで結論を出す。その時点で既に保守的な学問である。それに対して、文学では今までなかったような新しい発想が尊重される。
 新しい発想が尊重される、というのは法学の分野でも、論文を書く上では重要かもしれない。けれども、法学部において人とあまりにも違う発想をする学者は、少数説といって蔑ろにされる。判例、通説、多数説、少数説の順に、考え方の重要度は決まる。

 いつにもまして散文的になった。申し訳ない。法学と文学の違いを短い文章であらわそうという試み自体が稚拙すぎた。
 私がここで言いたかったことは、高校時代まで同じ教室で学んできた文系の頭脳でさえ、大学にあがると全く考え方が異なる、そしてその異なる思考に優劣をつけたがる風潮に反対したかったのだ。文学はまだましで、美術なんてもっと異端な、宇宙人みたいなやつらだと法学の学生は考えている。
 そんな世の中で、美術家が、赤瀬川原平やろくでなし子のように、時に裁判にかけられ、的はずれな答弁をしていくことに、なんだか愉快な、おかしみを感じてしまう。
 文学や美術の世界で権威がある学者先生を参考人として呼んでも、法律家は法学の範囲内で粛々と裁くだけなのだ。
 文学や美術に理解がある法律家なんて、めったにいない。そもそも思考回路がちがうのだから、理解しようがない。
 法学は文学より上位にある、なんて言説は表に出るものではないが、学者たちの内面に潜んでいて、だからか、二つの学問は相互不可侵の領域をつくりたがる。
 理系学問が重要視され、人文学は蔑ろにされる、その理由は、同じ文系学問である法学の連中、特に官僚になった法学部出身者の中にある文学に対しての蔑視のせいかもしれない。

2017年2月21日火曜日

二丁目の思い出

 東京で過ごした10年間で、特に印象深かった場所はいくつもある。
 拠点を構えた多摩センターや代々木上原、足繁く通った表参道、 赤坂、六本木。
 中でも別府に帰郷する前に度々訪れたのが新宿二丁目だった。
 今回は、その二丁目の思い出を記そう。

 新宿二丁目にはphotographers' galleryという若手の写真家が集まるギャラリーがあって、画廊巡りが趣味だった僕にとって、そこに立ち寄ることが二丁目に足を踏み入れるきっかけになった。
 偶然、写真家の荒木経惟と遭遇したこともあった。 後進の作品をちゃんと見ているのだなと思ったものだ。

 次に二丁目に足を踏み入れたのは、いつものとんかつ、そう新宿ではとんかつを食べる頻度が高く、伊勢丹そばの王ろじや、伊勢丹の中にある匠庵でよく食べていたのだが、ちがったものが食べたいという友人のリクエストで行ってみた、いわゆるゲテモノ系の店だった。
 名前は忘れたが、豚の性器が食べられる店だった。あの体験は強烈な印象を残した。

 そして、二丁目といえばのゲイバーに初めて入ったのは、法科大学院の友人に連れられて、だった。初めて入った店は仲通りに面した観光客向けの店だったが、店員が福岡の市役所を辞めてゲイバーで働いていると聞いて、なんだか不思議な魅力を感じた。安定した職場を離れてもなお生きていく魅力がある街、極端にいえばそんなことを考えた。そしてその店員がインテリで、なんでも知っていたのも印象的だった。
 それからというもの、悪友と共に様々なゲイバーをまわったものだが、結局行き着いたのは、芸大出身のオペラ歌手がママをしている少し不思議な店だった。 
 六人も入れば満員になる狭い店だったが、薄暗い照明と、どこか淀んだ空気が好きだった。
 店に来る客も、大学教授や会社の社長など社会的に高い階層にいる人たち、そしていかにも悪そうな小気味の良い若者たちだった。
 覚醒剤をやってるんじゃないか、そんなラリった二十歳前後の青年が来て、いきなり服を脱ぎだし、乳首を出して弄るように催促してきたことがある。 それでもオジサンたちは喜んでその要求に応えてあげる。そんなアナーキーな、素晴らしい場所だった。
 ゲイのカップルが、別れただの、新しい彼氏を見つけたいだの、経験豊富な40代のママに相談し、バイトの青年が笑顔を振りまく。一緒にデュエットして、夜を明かす。
 正月にゲイバーに行った時には、ミックスバーで年越しパーティーがあって、ゲイもレズビアンもノンケもみんな混じって夢中で踊りまくった。一方で、行きつけのゲイバーでは着物で正装した常連客が厳かな雰囲気で入ってきて、年越しうどんをみんなで食べた。

 ゲイバーは火事になれば一瞬で灰になりそうな、とても古い建物の一室にあった。そんな儚さが好きだ。その下の階では、会員制のSMバーがあり、防音ドアがあつく空間を閉ざしていた。
 ママは、副都心線が新宿三丁目を通ったことで家賃があがり、地上げも起きていることを話していた。もしかして、二丁目自体が儚く消えてしまうかもしれない。 
 けれどもその砂上の楼閣で、北海道や九州から観光客が訪れ、また二丁目のマンションの住民たちが紛れ込んでくることもある。近所のガチという有名なつけ麺屋ではノンケのカップルが何食わぬ顔で麺をすすっている。
 こんなに混沌としていて、それでいて安全な場所を僕は知らない。歌舞伎町との間にも境界があり、またゲイバーのママたちは初見の客に「組合の人?」とたずねてさりげなく牽制する。ゲイ同士、レズビアン同士が節度を守って生きている。
 だからこそ、崩れそうな建物の中で毎晩酒を酌み交わすことができるのだろう。それにしても最高の街だった。

2017年2月6日月曜日

「永遠の命」展に寄せて

 結晶化された古の者たちの深い眠り
 永遠の命を封じ込めた物質に
 肉体を超越する精神の真価を知る―――

 書肆ゲンシシャでは、2017年2月から、終期未定で、「永遠の命」展を開催いたします。

 展示するものは「死後写真」。死の直後に、死者たちを撮影した、ダゲレオタイプを始めとする19世紀から20世紀初頭にかけての古写真です。
 主に、こうした写真はアメリカやヨーロッパで手がけられ、一回の撮影に時間を要することからも、草創期の写真館では死者の写真を撮影することが好まれ、化粧を施し、服を着せ、目を開かせることによって、まるで生きているかのように死者たちを捉えたのです。
 それは死の美化に繋がると共に、写真の中で死者に永遠の命を吹き込む作業でもありました。

 なぜこのような写真が流行したのか、ヴィクトリア朝の怪奇趣味、デスマスクの代わりとしての役割など様々な説はありますが、いまひとつはっきりしません。
 けれども、こうした写真は現代においても強度を保ち、人々の好奇心をそそるとともに、悲しみや寂しさを呼び起こすものです。

 現在、アメリカでトランプ氏が大統領になったり、欧州ではEUからの離脱が叫ばれるなど、まさしく、悪夢が具現化する時代に差し掛かっています。人々の不安や恐怖が現実になって襲い掛かってきているのです。
 この「永遠の命」展も、病院や火葬場で隠蔽された死を、今一度、白日のもとに晒す催しでもあります。 死は、多くの人々を不安にさせ、畏怖させます。そして誰しもが死からは逃れられない。
 現代の管理社会において隠蔽された死をもう一度前面に出す意味合いが今回の展示にはあるのです。

 大きな、たとえば恵比寿の写真美術館などでは未だ取り組まれていない今回の展示に対する関心の高さは、すでにあるSNS上の反響からも窺えます。

 世界的にはテロリズムが流行り、死が身近になったものの、日本ではそれがいまだ観念的なものでしかない。それを結晶化された物質である古写真を通して見てもらいたいのです。

 巖谷國士先生は、先の対談で、ネット上の画像ではなく、立体的な実物に触れることの大切さを繰り返し説かれていました。 みなさまにも、TwitterやFacebook、Instagram上の画像ではなく、ぜひ実物に触れていただきたい。
「別府は遠い」とのお言葉を繰り返し聞かされました。今後巡回する予定はいまだありません。ぜひこの機会に、ご高覧ください。
 幻を視る館、ゲンシシャにてみなさまのお越しをお待ちしております。