2019年7月22日月曜日

安達澄議員の誕生

 今回は、昨日開票作業が行われた参議院選挙、大分選挙区について書いていきます。
 結果は、国民民主党など野党が統一候補として推薦した安達澄さんが当選しました。

 相手の自由民主党候補、礒崎陽輔氏は初代国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官を任された人物で、参議院議員を二期務めた実力者ですが、東大法学部から官僚、政治家と経歴に裏打ちされたエリート意識まるだしの上から目線の発言で大分県内での評判は芳しくありませんでした。2015年に大分市内で講演した際にも安保法案について「法的安定性は関係ない」 と発言し、激しく炎上、たびたび問題発言を繰り返してきました。

 対して、安達澄さんは、2015年の別府市長選で、現職の長野恭紘氏に敗れており、その時を評して市民は「顔はいいけど取り巻きがわるい」との話でした。
 今回の選挙についても、序盤に大分県内にて「別府市長選にも敗れた安達氏を国会議員にしてもいいのか」とする出所が不明のビラがまかれ、これからどうなるかと不安視されていました。安達陣営はこの件についてむしろ知名度があがって良かったと述べています。
 安達さんの父親は別府市内の高校教師、その時の生徒たちが中心となって別府市内で応援を呼びかけていました。
 情勢はというと、段々と安達さんが磯崎氏を追いかけ、もう少しで追いつきそうだというのが下馬評でした。立憲民主党の枝野代表らが応援にかけつけたものの、演説会場には立憲民主党の衆議院議員、横光克彦氏と、安達さんの奥さんがいるだけで、安達さん本人はそうした間にもコツコツと町中をまわっていました。

 開票当日は、大分市内と別府の一部で土砂災害の警戒警報が出るなどして、前回の投票率を10%ほど下回り、すると組織票をもつ自民党の候補が当選するではないのか、というのが大勢の読みでした。
  開票速報でもわずかながら磯崎氏が優勢で、これはだめだと半ば諦めムードが漂っていました。
  しかし、開票所というのは、世論をもてあそぶのが好きです。開票速報において、大分市や別府市という都市部の発表を遅らせ、郡部の開票データをもとに磯崎優勢と伝えていたのです。これは選挙においてはよくあることで、接戦になった場合、終盤にひっくり返すことで人々を驚かせようという開票所の遊び心です。
 案の定、都市部で強い安達さんがみるみるうちに磯崎氏を追い上げ、 終盤に逆転し、当選確実が夜遅くに出ました。

 大分は村山富市首相を輩出した県であり、過去には大平正芳政権のときに副総裁にして次期首相とする構想もあった西村英一氏を落選させたという大きな番狂わせもみせています。
 九州の他の選挙区で自民党候補者たちが早々と当選確実をものにするなか、今回もまた大分が「やらかして」しまった。
 地方と現場を大事にするという安達議員の今後に期待が高まります。

2019年7月13日土曜日

関係性をめぐる二つの思想

 いま、現代アートの現場では、「関係性の美学」という言葉がたびたび取り上げられています。
 ニコラ・ブリオーというフランス出身のキュレーターが出した『Relational art』(1998年)がもとになり、新しいアートの形を模索する潮流が生まれています。
 現代美術家リクリット・ティラバーニャがかつてニューヨークの美術館「タイ料理を作って観客にふるまうこと」を作品として提示しました。そこでは、美術館という特別な場所で、料理という日常的なものを演出する、そうしてその差異を明らかにすることに加え、タイ料理を食べるうちに観客同士が歓談し、コミュニケーションをとることができた点が評価されました。
  すなわち、マルセル・デュシャンが便器を「泉」といってアートとして展示したときから、もはやアートは「美」を求めておらず、アートの定義は拡がり、コンセプチュアルなものになってきた。さらに、画家や写真家といった作家の特権性はもはや重視されず、集団の関係性が重視されるようになった。そういう流れが現代アートのなかに広まってきました。
 優れた技術を有する人物が、きれいな、技量が高いアートを作り出すのではなく、 むしろそのアートを作り出す過程で、多くの人々が参加し、コミュニケーションをとり、協働して作品を生み出すことが評価される、そんな評価軸が出てきたのです。
 それはすなわち地域アートプロジェクト(※地域の名前を冠する芸術祭) の土台にもなっています。アートを通して地域の住民とコミュニケーションをとり、友達の輪を広げていく、そうして心が豊かになって地域活性化がはかれる、そうした理論の礎になっているのです。

 それに反対するアーティストがまたいることも忘れてはなりません。
 彼らは画廊で作品を展示し、売ることを目的にしていますが、鑑賞者と交流を持つことには消極的で、はたから見ると孤高の存在にも見えます。
 そうした芸術家にとっては、地域アートはたいへん居心地がわるいものなのです。

 しかし、地域アートが、友達の輪を広げ、心を豊かにするという善意のもとに動いているので、 あまり交流を持ちたくないアーティストたちはますます嫌悪感を抱いてしまいます。

  地域アートが北川フラム(※「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」に携わる地域アートの立役者)の思想に影響を受けていることも見逃せません。北川フラムは「資本主義の暴走」を食い止めることの重要性を提言しています。
 それに対して、地域アートを好まないアーティストは、売れるアーティストになる、すなわち資本主義の土壌の上に生活を成り立たせようと考えていることも、また二者の考え方のちがいに大きな溝をつくり出しています。
 地域アートがどのようにして動いているかと言うと、国や自治体からの補助金に頼り、売上を増やしたり儲けたりするという考え方とは距離をとった活動をしているのです。しかし、それに与しないアーティストは、コマーシャル・ギャラリーで商業的に成功することを望んでいるのです。

 これはもはや思想的な問題で、おそらく二者の考え方は永遠に交わらないでしょう。
 地域アートに親和性が高いアーティストと、そうでないアーティスト。
 後者は、「なんだ、地方で芸術祭をやって集落の人と仲良くなっただけじゃないか」と批判しますが、前者にとっては、「地域住民と仲良くする」ことをアートの重要な部分として認識しているので、そもそもの食い違いが生まれてしまうのです。
 どちらがよくて、どちらがわるいのか、そうした問題ではないところがまた根深い対立を生んでしまいます。
 このアートの捉え方のちがいに基づく対立は、しかし二者共にアートという一括りにされてしまうことでますます批判を生み出しています。
 いっそのこと二つを分かつ「新しいアート」の概念を生み出してはいかがでしょうか。

2019年7月2日火曜日

現代における少女の系譜

 幻想的なものに惹かれると同時に、少女性に惹かれる。
 幻想文学は、森茉莉、尾崎翠、矢川澄子、野溝七生子、倉橋由美子、吉屋信子、金井美恵子、津島佑子、女たちが紡ぎ出すものでもあるはずだ。そして、しばしば少女が重要な位置を占めている。
 今回は、現代における少女を描いた作品について、私の趣味を思う存分濃縮して取り上げてみる。

 現代をときめくファッションモデルのひとり、モトーラ世理奈に注目している。
 彼女を知ったのは、『装苑』でのこと。そばかすが特徴的なその姿に、一度見たら忘れられない強烈な印象をもった。
 彼女の存在をひときわ意識するようになったきっかけが、吉澤嘉代子『残ってる』のPVでのこと。
その朝帰りをする女性の可憐な、けれども凛とした姿に、撮影場所が以前の私の生活圏だった代々木公園駅であったこともあり、強く惹きつけられた。
 吉澤嘉代子は、「魔法少女」とでも呼ぼうか、不思議な歌ばかりつくっているシンガーソングライターで、 曲によってまるで印象が変わる、それでいて、ひとつの方向性を形作る個性のかたまりだ。この『残ってる』はあいみょんと一緒にNHKの『SONGS』などで売り出されていた時期の曲で、聞いたことがある人も多いだろう。
 その吉澤嘉代子の『女優』がまた小川紗良演じる主人公が、同性愛の感情をおぼえていると推測される女性の結婚に動揺する美しいPVとともに公開されている。
小川紗良は女優であるとともに、映画監督でもある。早稲田の映画研究会出身で、『聖なるもの』を監督した岩切一空の後輩である。彼女の『あさつゆ』がまた予告編からして魅力的なのだが、ソフト化されていないのがなんとも悲しいかぎりだ。『聖なるもの』と共にぜひ鑑賞したい作品だ。
吉澤嘉代子『女優』のPVに戻ると、こちらを監督したのが、あの『少女邂逅』で鮮烈なデビューを飾った枝優花だ。岩井俊二監督の『リリイシュシュのすべて』に影響されたそうだが、岩井監督という男性がつくり上げた少女の物語より、女性がつくり上げた少女の話ということで、より一層好感がもてる作品に仕上がっている。こちらはソフト化されているのでぜひ観てもらいたい。モトーラ世理奈と保紫萌香(現・穂志もえか)が主演を務めている。
そんな枝優花監督が、『少女邂逅』のアナザーストーリーとして作ったのが『放課後ソーダ日和』だ。クリームソーダを軸にした心温まる物語で、モトーラ世理奈と保紫萌香は初回に登場している。
昔ながらの純喫茶が舞台になることもあり、昭和レトロ感も満載で、就寝前などに観るのにちょうどいい。その主題歌を手がけているのが、羊文学。
スーパーカーとよく比較されるが、ファーストアルバムのタイトルが『若者たちへ』と、若者に向けた新しい感性をかんじさせる、なおかつそれまでの音楽の歴史を踏まえた作品づくりを展開している注目のバンドだ。新宿の街頭テレビで流れていたこともあり、東京ではかなり知られている存在なのだろう。

 こうした流れとは異なっているが、注目しているのが映像作家の吉開菜央だ。
NTTインターコミュニケーション・センターにおける黒塗りの件で思わぬ方向で有名になってしまった。それまでも米津玄師『Lemon』で踊るダンサーとしてだったり、作品とはちがう方面から取り上げられることが多く複雑な気持ちになる。少女というより、フェミニズム的な文脈で女性を前面に出しており、今の時代にふさわしい作家である。柴田聡子を起用して映画を撮っていたりするいま注目の存在だ。
NHKドラマ10『ミストレス』の主題歌をうたうNakamuraEmiのPVもたびたび手がけていて、やはり女性の心を歌い上げる内容とあいまって完成度の高い作品に仕上がっている。吉開監督自身が日本女子体育大学でダンスを学んでおり、身体という面から考察しても面白い作品だ。

 LGBTやBL、MeToo運動など様々な形で取り上げられる現代の女性。少女の表象といった面でどう変化が生じ、何が変わらないのか今後の動向に注目している。