ポン・ジュノ監督による韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観ました。
カンヌ映画祭のパルム・ドールに日本映画『万引き家族』に続き、アジア映画が輝くとは。 大変喜ばしいことです。
今回は、この『パラサイト』の内容を中心に、エロ・グロ・ナンセンスの片鱗を見ていきます。
まだご覧になられていない方には分かりにくい箇所もあると思います。ご容赦ください。
まず、第一に、雨が降り続き水があふれて避難所に集まり、眠りにつく場面で、ソン・ガンホ演じる父親は「失敗しない計画とは、無計画であることだ」と語ります。
これこそ、エロ・グロ・ナンセンスの時代をあらわす象徴的な考えです。
現代は、「不確実性の時代」と呼ばれています。経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの著作のタイトルにもなっている言葉です。ブレグジットや、トランプ大統領の当選、イスラム国の存在など、「予想だにしなかったことが起こる時代」。リスクが、ある程度想定できるものであるのに対し、不確実性とはそもそも発生確率を計算することすらできないものとされています。
このような不確実性の時代においては、計画することを放棄し、無計画に、刹那的に生きる生き方が好ましいとすら思えてきます。それは、関東大震災と、世界大恐慌というまた「不確実」なことが続けて発生した、あの第二次世界大戦前のエロ・グロ・ナンセンスの時代にも繋がります。
第二に、第一で述べた父親の言葉を受けた息子が、山水景石という「財運があがる」と言われる石を大事に抱いているところにも、エロ・グロ・ナンセンスの思想を見ることができます。
エロ・グロ・ナンセンスの時代、先行きが不透明な時代に、人々は、出口王仁三郎に代表される宗教を信じ、超自然的なものに縋りました。世紀末にオウム真理教があらわれたように。不確実なものがあふれ、人間の力ではどうしようもないとき、人は、人知を超えたものを求めるものです。
第三に、裕福な母、「寄生」される側の女性が、友達に重要性を求める点。
信頼していた運転手や、家政婦が裏切ったと思い込んだ母は、「友達なら信用できる」と考えます。データや、客観的な事実に基づくことなく、「友達」であるというところに決定を委ねてしまうところに、エロ・グロ・ナンセンスの思想が見えます。
これもまた、想定しえなかった「現実」を突きつけられて、不確実性の中で、「友達」という極めて曖昧な基準に頼ってしまう。それがそもそもの混沌の根源になってしまいます。
以上のように、エロ・グロ・ナンセンス、さらに不確実性という観点から『パラサイト』を読み解くことができます。この映画がなぜ現代にここまでヒットしているのか。それはまた、現代が「不確実性の時代」であることが要因であると言えるでしょう。
もうひとつ、余談ではありますが、本作品を観賞中に、トマス・ピンチョンの作品を思い出しました。エントロピー増大の法則です。エントロピーとは「無秩序な状態の度合い」であり、エントロピー増大の法則とは、たとえば片付いていた部屋が散らかっていく様子を示しています。
『パラサイト』はまた、話が進むうちに、裕福な家族が住む家という整理整頓された場所が、寄生する家族によって散らかっていく様子を描いているのではないか、その頂点が殺人事件だったのではないか、そのように見えました。
2020年はオリンピックの年。年明けからソレイマニ司令官殺害という、またもや不確実な事件が起こりました。
このままエントロピーが増大していくと、その頂点はどこにあるのか。
先が見えない、不穏な年になりそうです。