2020年6月28日日曜日

別府をめぐるあれこれ「第2期別府市総合戦略」など

 新型コロナウイルスの影響で落ち込んでいた別府市がこれから回復に向かうのか、岐路に立たされている現在、様々な動きがありますのでここで紹介いたします。

 まず、NHK総合にて、6/29(月)午後7時より、女優の鶴田真由さんのファミリーヒストリーが放送されます。
 
鶴田真由さんは、別府の老舗ホテル、ホテルニューツルタの親戚筋にあたり、ニューツルタの一族の歴史もたどる、ニューツルタ社長もご存知なかったエピソードも含めた深い番組に仕上がっているそうです。

 別府市役所が、第2期別府市総合戦略 ~まちをまもり、まちをつくる。べっぷ未来共創戦略~」を策定しました。
新型コロナウイルスの影響が出る前に決められたものですから、これからどう動いていくのか、異なる箇所も多いかと思います。

B-biz LINKとの連携を強化していく旨を前半にて強調しています。
 B-biz LINKとは、市役所の外郭団体であり、市役所内部から出向した職員などを含め、別府市のPR動画を手がけたり、イベントを実施するなど、幅広い分野で活動しています。
 知人が「別府の電通」と称して、なかなか言い得て妙と納得しました。
 別府市役所は現在、別府市役所、B-biz LINK、BEPPU PROJECT、BEAMSの4つの頭文字をとった「4Bプロジェクト」を実施しており、密な連携がとられています。

 そのBEPPU PROJECTについても、「第2期別府市総合戦略」の中で触れられています。
BEPPU PROJECTはいわゆる「アートでまちおこし」を実施しているNPOですが、同NPOが主導する市民文化祭「ベップ・アート・マンス」の参加者数を増やすことが計画に含まれており、市役所との近さを感じさせます。
 一方、新図書館について、当初は図書館と美術館を併設した一体型の施設を目指していたものの、美術館は現在の別府市美術館を存続させる方向で動いており、「第2期別府市総合戦略」の中でも単に「新図書館」と掲げられ、美術館新設は厳しい状況になっています。

 BEPPU PROJECTは2021年に山口県央で開催される芸術祭「山口ゆめ回廊博覧会」のプロデュースも行っており、大分県を出て、着々と勢力を拡大しています。
 別府市でほかに気がかりなのは、まず湯量が減少していること。別府市はやはり温泉で有名ですが、地殻変動の影響なのか、湯量が減少し、鉄輪エリアなど、温泉が出ない施設もでていきています。

 次に、スーパーホテルなど新しいホテルの乱立による既存のホテルの閉鎖。別府駅前にはスーパーホテルがまもなく完成し、星野リゾートも2021年に完成予定、客室数が大きく増加する見込みです。2019年のラグビーワールドカップに向けて、民泊なども含め、客室数が増えてきたところさらに、です。そんな中、新型コロナウイルスによるダメージは甚大なものになっています。今のところ三泉閣の倒産がニュースになったくらいですが、これから間違いなくホテルの閉鎖は増えていくことでしょう。
 ホテル関連で言えば、鳴り物入りで完成したANAインターコンチネンタル別府が7月から価格を下げることも気になります。最低でも5万円は出さないと泊まれなかった、安宿が多い別府に君臨する超高級ホテルですが、最近は従業員の解雇も行い、なかなか思い通りに進まなかったことが見て取れます。

  別府駅前の名物の弁当屋「デカ弁」が30年以上の歴史に幕を下ろしたことを象徴に、別府市全体がダメージを受けている状況です。
 第二波がくれば、と心配しながら、今は静かに読書に励んでいます。

2020年6月20日土曜日

現代アートと骨董は似ている~説明することの大切さ

 現代アートってよくわからない。
 そういったセリフをもう何度も耳にしてきました。
 道端に空き缶が置いてあるだけなのに、アート?
 壁にバナナが貼り付けられているだけなのに、アート?
 私にはワカリマセン、といった質問を幾度となく投げかけられてきました。

 現在の「アート」は、複雑なコンテクストの上に成り立っています。その文脈を読み解くことによって、その作品にどういった価値があるのか、初めてわかるのです。
  つまり、その文脈を理解できない人には「わからなくて当たり前」のものなのです。
  この作品には、こうした意図があって、こうした時代背景があって、ここにこの素材が使われていることにも全部理由があるんですよ、ということを説明して初めて理解できるものなのです。
 なんだかわからない、得体のしれないものはしばしば恐ろしいものです。 そして、作品が文脈を誤って理解されることは、作品にとっても、鑑賞者にとっても、多くの場合、不幸なことです。多くの場合とつけたのは、そうした誤読をあらかじめ想定して手がけられた作品もあるからです。
  また、現代アートの価値についても、なぜこの作品にこのような高値がつくのか、問われることがあります。現代アートの価値とは、作者名と、展示されたギャラリーの格式、批評家による好評価などをもとに決まります。そして、オークションなどを通して、ときに数億円という価値がつくのです。

 骨董について見てみましょう。
 素晴らしいと言われている茶碗があったとします。骨董の知識がない人々は、どうしてその茶碗が素晴らしいと言われるのか、高い値段がつけられているのか、わかりません。
 ただ鑑定士は、この茶碗は、いつの時代に、だれだれが、どこでつくり、どのようなつくりをしているから「素晴らしい」のだと判断します。
 ちゃんとした理由があるのです。
 骨董屋を訪れたちゃんとした審美眼がある人は、その茶碗を見ただけでその価値の高さがわかります。 けれど、知識がない人々には、その素晴らしさがわからないのです。
  加えて、骨董品の価値はやはり、作者名と、販売する骨董屋の格式、鑑定士による好評価などをもとに決まります。
  このように、現代アートと骨董とは、似たところが多くあるのです。

 現在、地方においてまちおこしのための芸術祭が開催され、都市部の美術館においても来場客数を増やし収入を増やすためにアートの知識がない人々を多く取り込んでいく必要性が叫ばれています。
 すると、当然、今までのような文脈を知るプロだけではなく、まったく前提知識がない鑑賞者も多く来場するようになります。
 そこで、文脈の誤読が起き、あるときには炎上し、展示を止めざるを得ない状況に追い込まれる、最悪なケースも想定しなければなりません。
 そして、来場されるからには、正しい文脈に沿って鑑賞いただき、納得していただくことを目指さなければなりません。
 すると、そこで必要となるのは、充分な説明です。ここにはこういった意図があり、こういった時代背景があり、こういった技術を駆使している、そのことをひとりひとりに、これは理想論かもしれませんが、説明していくことが重要になってきます。

 骨董を売るとき、「この掛軸は○○の作品で~」とその価値を、顧客に対して、丁寧に説明します。それと同じ努力が現代アートにも求められているのです。

 ただ作品を道端に置いて、誤読され、嘆くだけの時代は終わりにしましょう。
 「わかる人」だけではなく、わからない人にもわかってもらう努力が、これからの現代アートには必要になってきます。
 あるいは、この「啓蒙」をあきらめて、アートの裾野を広げていくことを止め、大人しく「わかる人」だけの世界に戻っていくのか。
 今、アートの世界は、そうした分岐点にあります。