2018年9月16日日曜日

アニッシュ・カプーアの作品がついに到着したわけですが

 ついにアニッシュ・カプーアによる『Sky Mirror』が別府公園に9/15、到着しました。零時過ぎから始まった工事が午後2時半頃まで続き、やっと設置されました。
 今回の作品は、屋外に展示されており、なおかつ子供でも手が届く場所に置かれているので、24時間体制で警備員がついています。昨夜、別府公園を訪れると、おじいちゃんの警備員が一人で見張りをしていました。
「酔っぱらいが来るとやっかいだからのう」と、 人の良さそうなおじいちゃんが敬礼をしながら言っていました。
「これから一晩中椅子に座っているんじゃ」とシャツをズボンからはみ出させたおじいちゃんが寂しそうに言っていました。
 確かに、酔っぱらいに触られると大変です。なにしろ、今回のこの『Sky Mirror』には、7億円の価値があるとされているのです。カプーアの同作品は、1mのもので1億円と相場が決まっているそうで、しかし今回の5mのステンレス製の鏡は、少し上がって7億円の値段がつくとされています。もしそんなものに傷でも付けられたら大変です。
 『Sky Mirror』はカプーアのアトリエで制作された後、貨物船に載せられ、釜山、福岡を経由して西大分港にて陸揚げされました。別府港は基本的に人や小さな荷物の上陸を想定しており、今回のような大きな荷物は隣町大分市の西大分港を使うしかないのです。そして、巨大な鏡を移動させるために道路を封鎖し、深夜のうちに別府公園に運び入れたのです。
 作品が西大分港に着いたときには、地元の新聞、大分合同新聞によってニュース速報が発信されました。

 今回、カプーアの個展を別府で開催することになったのは、国民文化祭と呼ばれる「文化の国体」が大分県で開催される、その目玉事業になったからです。毎年、各県持ち回りで国民文化祭なる行事が開催されているのです。大分県は、この国民文化祭に、100万人が訪れると見込んでいます。1998年に開催された前回の大分県で開催された国民文化祭に92万人が来場したので、それを上回る人に来てもらう、とそういうわけです。
 その内、「アニッシュ・カプーア in BEPPU」の来場者は6万人を見込んでいます。100万人のうちの目玉事業に6万人ですから、妥当な数字のようにも見えます。
 もうひとつ、「in BEPPU」という、一人の作家の作品を二ヶ月間にわたり別府市内で展示するイベントが毎年開催されており、カプーアの個展もそのひとつとして開催され、今回は三度目になります。その「in BEPPU」のこれまでの来場者数を振り返ってみましょう。

2016年 目           入場料・無料   28日間 1122名
2017年 西野達         入場料・無料   58日間 13391名
2018年 アニッシュ・カプーア  入場料・1200円  51日間 60000名(見込)

 と、こうなるのです。この数字を見てみると、かなり無理がある数字のようにも見えます。ちなみに、今回のカプーアの個展にかけられた事業費は1億円ほどということです。レンタルとはいえ7億円の作品を海上輸送で輸入したのですからリーズナブルに済んだと思います。
 私としては、運営している書肆ゲンシシャが別府公園の目の前に位置していることもあり、多くのお客様がカプーア目当てに世界中から集ってくることを願っています。
 なにより眼の前の公園に、世界的アーティストの7億円の作品があるというだけで、気の持ちようが異なります。
 ささやかながら「アートの町」別府として、いよいよ認知されるよう、尽力していきます。

2018年9月10日月曜日

ゲンシシャ人間

 村田沙耶香『コンビニ人間』は傑作である。理由をいうと、中村文則による分析が陳腐に感じられるからだ。理論的な分析を陳腐であると感じさせる作品こそ、優れた作品であると思う。それだけ、心の奥底から、深い場所から生み出された、感覚に裏打ちされた作品であることを証明しているからだ。
 『コンビニ人間』の、恵子のキャラクターはあまりにも分かりやすい。みなにとって「当たり前」だと思われる価値観を共有できていないために疎外され、矯正されようという人間は、私のまわりにも多くいるし、人物像が非常にスムーズに想像できる、これは作者自身ではないかと思わせるリアリティがある。
 けれども、中盤に、白羽という、社会からの圧力を前にして敗者として振る舞うが、反抗する気力もなく、けっきょく同調圧力に屈したあわれな男が登場したとき、ああ、村田さんはしたたかな人物だな、と思った。もし恵子が作者自身なら、白羽をこのように、またリアリティあふれる人物として描き出すことはできなかっただろう。ステレオタイプの働かないヒモ男以上に、白羽は、あ、こういう男いるな、と思わせる現実味を帯びて描写されるのだ。ああ、村田さんはおそろしい人だ。悟りの境地に達しているのかもしれない。主観的な描写が続く本作だが、客観的な視点が確かにあって、それが話のリアルを作り出している。それゆえに『コンビニ人間』は傑作なのだ。

 「当たり前」がわからないからこそ、定型化された仕組みの中で、コンビニの声を聴こうとする、コンビニと同化まで試みる恵子には、親しみが持てる。本気で働いている人間ならば、同じような心境になったことが必ずあるだろう。
 私も、「リュウゴク」アカウントを運営しているときは、心まで「リュウゴク」になっているし、「ゲンシシャ」を経営していると、もはや「ゲンシシャ」が自分になってしまうのだ。「ゲンシシャ」がこれからどのように成長していきたいのか、自分の中に内在化されるのだ。
 私は『コンビニ人間』の恵子のようにぶっきらぼうな人間であったし、あらゆることに関心がない。どちらかというと自分の体を別の機械のように感じてしまう、もっというと、機械になりたいとすら思う人間だ。だから、死体や奇形で満たされたこの異形の「ゲンシシャ」と同化できるのだろう。その一方で、客観的に、正常/異常を判断できる能力を保っているからこそ、運営を続けられるのだろう。
 完全に異常である人間は面白くない。葛藤があるからこそ面白い。
 絶妙なバランスの上に成り立ったものほど、尊く、愛おしいものはないのではないか。
 そうしたものをこれからも増やしていきたいし、自分もそんな存在でありたい。

2018年9月3日月曜日

ゲンシシャがワンドリンク付300円を貫く理由

 書肆ゲンシシャは、ワンドリンク付300円で一時間をお過ごしできる仕組みになっています。
 この300円をいつ500円に値上げしようか、考えあぐねたこともありましたが、300円が高いとのご指摘をいくつもいただき、結局300円に据え置いています。
 ワンドリンクというのは、マリアージュ・フレールの紅茶です。銀座で飲むと1000円くらいするらしい。けれども、別府の物価を考えると、300円でも高いのです。
 このことについて、記しておきます。

 まず、まわりの店の価格設定から考えていきましょう。
 ゲンシシャの近くにうどん屋があるのですが、そこはうどん一杯を200円で提供しています。
 また、定食屋では500円で10品が食べられます。
 温泉は、100円で入れます。
 これが別府における平均的な物価なのです。
 それを考えると、あながち300円というのは安くないのです。

 次に、まわりの住民の所得を考えてみましょう。
 別府市民の平均年収は、役所が算出したデータによると、270万円ほどです。
 これは平均の年収なので、ゲンシシャによく来られる20代となると、もっと下がります。
 中でも、アート関係の方がよくいらっしゃるのですが、彼らの所得水準は驚くほど低いのです。
 別府には清島アパートというアーティストが集団で居住・制作をする場所があるのですが、ここの家賃は、水道光熱費ネット代備品代込みで1万円です。けれども、家賃を払えず、滞納してしまう方が多くいらっしゃるのです。
 また、同じくアート関係の方と、別府の隣の大分で遊ぶ約束をして、別府駅で待ち合わせたものの、先に行っててと言われ、私一人で電車に乗ることになりました。
 その友達はどうしたかというと、別府駅から大分駅まで歩いてきたのです。どうしたの、と聞くと、電車代280円がもったいなかったから、とそう言うのです。
 こうした環境の方にとって、300円というのはとても高いのです。

 別府の中で活動していくには、300円というのは決して安い値段設定ではないのです。
 もちろん、遠方、特に東京や大阪から来られた方たちからは、安すぎるのではないか、と逆に問われることがあります。こうしたことがある度に、都市部と地方との所得格差をしみじみと感じてしまうのです。

 別府アートミュージアムという、私立の美術館は入館料700円ですが、あまり客の入りはよくないようです。まわりの人たちに聞くと、やはりその値段が高額だから、という意見が多く聞こえます。
 対して、別府市美術館という、公立の美術館は入館料100円です。それでやっとなんとか人が来るというのが、 別府の町の現状なのです。

 ゲンシシャ云々ではなく、別府市全体の所得水準を上げていかなければ、と思うのですが、私ひとりの力ではどうこうできることではありません。
 別府の地価が上がり、ホテルや旅館も高級路線を打ち出すところが増えてきました。そうしたところがもっと繁栄し、別府全体が勢いづけば、と考えています。