2018年8月24日金曜日

世界を広げる

 私はもともと、大学院で研究活動に従事していました。あの頃のことを思い出すと、いかに自分が狭い世の中で生きていたのか、ということに唖然とさせられるのです。その世界では、狭い研究室、もしくは学会という単位の中で、優れた論文を書き、業績を上げることがすべてでした。
 文学系の大学院に所属していたこともあり、かなり変わった人が多くいました。それよりも、特筆すべきなのが、やはり裕福な家庭で育った人間が多かったということです。文学で院にまで進む人間が生まれた家というのは、やはり、都内でも高級住宅地の生まれや、地方の名士と呼ばれる人たちでした。そして、もちろん学歴の面でも、早慶出身でも低いランクの大学出身と見られる、一種のエリート集団だったのです。
 そうした中で、頭でっかちな人間になっていた、と今では反省しています。

 別府に帰ってきて、とある居酒屋で飲んでいた時のことです。隣の80代の老女と席が隣り合わせになりました。彼女はかなり酔っ払っており、私に絡んできました。
「なんや、兄ちゃんは大学まで進んだんか。私は小学校を出てすぐ働きに出たんや。この親不孝者」
  老女は、小学校を出て、すぐに別府市内のホテルで清掃員として働き始め、一度も別府から出たことがないという人でした。
「で、兄ちゃんは何を勉強してきたんや」
「シュルレアリスムです」
「シュル…なんや、それ」
「フランスのアンドレ・ブルトンがシュルレアリスム宣言を発表して…」
「フランスってどこや」
「ヨーロッパにある国です」
「ヨーロッパ?…聞いたことないな。嘘つくなよ」
 と、そんな会話が繰り広げられました。老女が、フランスどころか、ヨーロッパという地域の存在すら知らなかったことに驚愕しました。
 けれども、老女には十人の愛すべき孫がいるそうです。ヨーロッパを知らなくても、ホテルの清掃員として人生をまっとうすることで、結婚し、子供を育て、孫にまで恵まれることができたのです。
 知識とは一体何の役に立つのか、と再考させられました。

 まだ研究者だった頃、大阪府の橋下徹知事(当時)が国際児童文学館の廃止、統合を提案したことに反対し、私が所属していた学会の重鎮と呼ばれた大学教授が反対する声明を出しました。その中で、教授は、橋下徹知事に自分が執筆した論文を送付したと嬉々として語ったのです。すると、学会の方たちは、そうだ、教授が執筆した論文を読めば、橋下徹知事も感銘を受けて撤回するに違いない、と拍手喝采が起こったのです。
 ですが、実際にどうだったかというと、橋下徹知事はその論文を読まなかったのです。論文を読まなかった橋下徹知事もさることながら、学術論文を研究者以外に送りつけて、それを読んで納得するはずだ、と考えていた教授を中心とした学会のメンバーにも、正直あきれたものです。研究者以外が学術論文を突然送りつけられて、読むでしょうか。研究者ならではの思考の偏りがあったのでは、と思います。

 学問に秀でていることが必ずしも良いことではない、というのは、アカデミックな世界に居続けると、なかなかわからないものです。この間も、品物をお客様に届けるために、郵便局に出かけたところ、「山形県ですか。山形県は関東地方ですから…」「いや、東北地方ですよ」「何を言っているんですか。山形県はずっと関東地方です」とそんな押し問答が続いたのです。地図を見せて、やっと納得していただけました。
 自営業を始めて、いろいろな方と出会い、世界が一気に広がったことを感じます。それだけでも、今の仕事をしていて良かったと思うのです。

2018年8月2日木曜日

最先端のアートとは食堂である

 最先端のアートとは食堂である、と考えます。
 これは昨今のアートに関する言説を踏まえた上で導き出される結論です。
 どうしてこの結論にいたったのか、今回はお話しましょう。

 地方において芸術祭に関わっている間に、この芸術祭の目的が、「アート」という概念が定義するところの拡張である、とたびたび言われてきました。
 まず、それがどういうことなのか、考えていきます。
 今までの芸術家として、みなさんはどういった人物を思い浮かべますか?
 画家、彫刻家、写真家、そうしたものを思いつくのではないでしょうか。
 けれども、地方におけるアートの文脈において、そうしたアーティスト像はもはや古いものになっています。作家性が生み出すところのアートは歴史上の産物であるという考え方なのです。
 画家、彫刻家、写真家などは、手に技術を身につけ、作品を発表しているクリエイティブな存在です。
 それに対して、現代の、地方の芸術祭におけるアートとは、誰でも作ることができるもの、とされています。例えば、毎日、お弁当を作ったり、遠足にでかけたり、田植えをしたり、そうしたものがアートとされているのです。
 これは個人の作家性というものから、集団の関係性、コミュニケーションへと視点が移ってきたことから考え出された新しいアートなのです。
 特別な、天才と言わないまでも、非凡な才能を持った個人が優れた作品を生み出すという仕組みではなく、平凡な、一般人がみなで共同して作り上げるもの、それこそが現代におけるアートなのです。 少なくとも、地方の芸術祭においてはそう考えられています。
 すなわち、芸術祭自体が、その地域に住む人間みなが力を合わせてつくり上げる作品であるといっても過言ではないのです。

 かつて、マルセル・デュシャンの『泉』がアートの概念を変えたように、ふたたびアートの概念は変わろうとしています。
  正月にみなで餅つきをする、選挙に行って投票する、みなで海に行って泳ぐ、そうした行為こそが新しい時代のアートなのです。ここまでアートの定義を拡張してしまうと、アート自体が持つ固有性が崩壊してしまうかもしれないという危惧は当然あってしかるべきだと思います。

 どうしてこのような変化が可能になったのか。バブル期以降、アート業界が不景気で、画廊で絵を売ったり、写真を売ったりすることが難しくなってきました。そして、InstagramやTwitterといったSNSの普及により、誰もが自分の作品を公に発表できる体制が整い、もはやプロとアマチュアの区別も曖昧になってきました。インスタグラマーが写真集を売り、それが従来の画廊経由で発表してきた写真家の本より多く売れる、ということも多々あります。
 そうした混沌とした状況の中で、旧来のアート、というものが勢いをなくしてきたのです。
 加えて、いわゆる箱物行政をやめた地方が、芸術祭に多くの助成金を出し、「アートで町おこし」をするようになってきました。 そこでは、従来の、商業目的のギャラリーとは異なり、助成金を元手にしているため、そもそも黒字にする必要もなく、資本主義とは離れた場所でアートをすることが可能になってきたのです。
 たとえば、私が住む別府の芸術祭では、一日に数百円、あるいは無料で展示する場所を借りることができ、 好きなように作品を展示することも可能なのです。これは資本主義に基づいた大都市の人たちからは考えられないことでしょう。
 そうした動きの中で、アーティストたちに余裕ができ、より自由なアートというものが可能になってきたのです。
 「アートで町おこし」の目的が、アートによる地域の活性化であることにも触れなければなりません。すなわち、アーティストたちが地域住民たちとふれあい、町内会に参加し、お祭りのときにお神輿を担ぐといった、そうしたことが「アート」として認識されるようになってきたのです。

 東京や大阪の商業目的のギャラリーからしてみれば、なんだそりゃ、と思われるかもしれませんが、地方の芸術祭はこうした新しいアートを目指しているのです。アート、とひとことで言っても、画廊で発表されるようなアートと、地方の芸術祭で見られるアートとは全く異質なものになっています。

 そこで、表題の「最先端のアートとは食堂である」に戻ります。
 食堂では、多くの、近隣の住民たちが集まり、あるいは、地方都市においてはそこが情報交換の場として賑わうことになります。まず、そうしたコミュニケーションの場として、アートとして認識されるべき存在です。
 加えて、料理人は、住民たちの栄養バランスなどを考えながら、料理をつくります。その料理をつくる、すなわち、味付けを考える、盛り付けを考えるといったところに料理人の作家性もあらわれるのです。そうした旧来のアートとしての側面も、食堂には備わっています。
 さらに、食堂自体の空間デザイン、立地環境、そこで繰り広げられるパーティなどのイベントなどを考慮すると、まさに食堂とは、旧来のアートと新しいアートとが混在する夢のような場所である、と言うことができるでしょう。
 その食堂がみなの手で作られているのなら、言うことはありません。そのプロセスこそが、アートなのです。

 今回は地方の芸術祭における新しいアートの概念についてお話しました。
 ぜひ一度、都会を離れて、みなさまの目でご覧になっていただきたく思います。