2017年4月3日月曜日

男子校・寮生活は自由か、不自由か

 私は男子校の寮で中高時代を送りました。
 具体的な校名を出すのは控えますが、高橋源一郎の息子が通っている学校だといえば、大体の見当がつくかと思います。
 今回は、果たしてこの男子校の寮、といった空間が、青春時代を過ごすうえで、自由な空間か、あるいは不自由な空間か、考察していきます。
 多くの人に馴染みがないであろう、共学化がますます進む今日においては特に疎遠な、過去の遺物ともいえる男子校の寮生活について語ります。

 中学時代、それぞれの生徒に個室はなく、12人部屋(2段ベッドが6つある8畳ほどの部屋) が寝床で、他に学習室と呼ばれる100名の生徒が一斉に勉学に励む部屋と、共同浴場、そして食堂がありました。
 舎監、すなわち寮の管理人は元自衛隊員で、 厳格な人物でした。
 一日の日課を以下にまとめました。

 6時半 起床
 6時半~7時半 学習時間
 7時半~8時半 朝食
 8時半~12時半 授業
 12時半~13時半 昼食
 13時半~17時 授業
 17時~18時 夕食
 18時~18時半 風呂
 18時半~23時 学習時間
 23時~23時半 就寝準備
 23時半~24時半 学習時間
 24時半 消灯

 大体こんな感じです。一日のほとんどが勉強に費やされ、部活などは空いている時間になんとかやるといったふうです。

 この時間割の中で、何が不自由だったか、まず書き出してみます。
①学習時間の拘束
 学習時間は大教室に100名分の机が並べられた学習室で過ごし、トイレに行く以外は席を外してはならず、高い所に舎監が座る椅子があって、数時間のあいだ監視され続ける状態でした。
 咳をしただけで教室中に響き渡るようなコンクリート製の無機質な空間で、許されるのは勉強と読書のみ。私が読書に励むようになったきっかけはこの学習時間にありました。
②外部の情報の遮断
 2000年代前半にあって、携帯電話、テレビなどの電子機器の持ち込みを一切禁止された空間では、わずかにラジオと新聞のみが外部の情報を知り得る手段でした。 とにかく勉学に励むため、外部の情報は遮断されていました。なぜかマンガは許されていた、ただし学習室には持ち込み不可、だったので、休憩時間にマンガを読みふけりました。
③女性と接する機会の喪失
 男子校で、おまけに塾に通うことが推奨されず(学校のみの教育で上位校に入れるのが売りだったため)、外出時間も日に数十分(ちなみに門限は17時半)だったため、中高時代に会った女性は国語と音楽の教師だけでした。おまけに生活指導の先生が「女性は汚らわしいので話してはいけない」などと平気で言って、なんら問題にならない学校でしたので、女っ気はありませんでした。

 次に、自由だった箇所を書き出してみます。
①風紀が乱れても咎められない
 男子校でしたので、トイレにコンドームが落ちているなんてこともありましたが、さして問題になりませんでした。近所の女子校の生徒のハメ撮りビデオがあって、それを鑑賞する会なんてのもありました。教室でエロ本を貸し借りしてもそれが当然のような顔をしていましたね。もちろん表向きには禁止されていましたが。
②男性同士のほのかな愛情
 ボーイズラブではありませんが、クラスには長髪の、なよっとした男子がいて、その子が女性の代わりにクラスの華になることがありました。体育の時間にも美少年は男子たちに支えられ、愛されました。私の学校では柔道が必須の授業でしたが、正直エロスを感じましたね。
③エリートたちのパブリックスクール
 当然、息子を出身県外のこうした学校に入れるようなご家庭は裕福なところが多く、まして偏差値上位校でしたのでみなエリート意識のかたまりでした。近くの工事現場で働いていたお兄さんを生徒の一人がばかにして、敷地の中に殴り込んできたなんて事件もありましたね。ただ、エリートの中でも階層があって、東大志望の子はとにかく、他の子をいじめようが暴力事件を起こそうがお咎めなしでしたね。なにしろ学校の進学実績に関わることですもの、当然です。それ以外は一橋or東工大・早慶クラスとしてひとまとめにされていました。それ未満の大学に入る人間はもはや人間としてみなされていませんでしたね。落伍者の烙印を押されました。
 実態はどうあれ、教育方針として東大志望者のレベルに合わせるため、定期テストの平均点が20点なんてことも。落伍者はなかなか復活することが出来ず、中退する生徒もいました。

 なかなか普通の公立の学校では味わえない青春時代を過ごしてきたな、とあらためて振り返って、我ながら思います。朝の点呼も、「1!」「2!」「3!」「4!」とさながら軍隊のようなありさま。
 ですので、大学に行って急に落ちぶれる人も多く、大学での留年率が高いのも我が校の特徴でした。上京組は特に衝撃を受けました。なんて世の中には娯楽と情報があふれているのだろう、と。
 そして、こうも言うのです。テレビもネットもなかった、あの寮生活は幸せだったなあ、と。
 定年退職するまでこの寮の時間割を守り抜いたという人物もいて、伝説になっています。
 自由な面も、不自由な面もありましたが、とにかく濃厚な時間が過ごせた青春時代でした。 そう、濃厚な時間を過ごした代わり、同窓生たちはみな老け顔です。

 最後に、寮の食事の予算が一食200円ほどで、たまに土日に吉野家の牛丼を食べたりすると、美味しさのあまり感激したことを付け加えておきます。