2016年5月7日土曜日

書肆ゲンシシャ/幻視者の集い 開設にあたって

 私は、2016年2月29日、うるう年の四年に一度の日に書肆ゲンシシャを別府の地に開店しました。今回は、このゲンシシャの構想についてみなさまにお知らせしたく更新いたします。

 4月14日、熊本地震が発生し、別府でもこれと連動した揺れを感じました。
 私はすぐさま東日本大震災の記憶を呼び起こしました。
 これだ。この揺れだ。
 この揺れは私のトラウマであると同時に、楽しみでもある、と。

 書肆ゲンシシャのコンセプトのひとつにエロ・グロ・ナンセンスを挙げています。
 昭和初期、人々はカッフェや町のあちこちで、女性の体を触ったり、いやらしい小説や写真を蒐集、鑑賞していました。
 なぜそうしたことが起きたのか。一般には、世界恐慌や関東大震災で無力感や倦怠感を味わい、刺戟が欲しかったのだと言われています。
 けれども私は思うのです。関東大震災で、火災旋風を見て、数多くの死体を眼にした人々は、あの揺れをもう一度味わいたい、あのスリルを求めて、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる風潮を広めていったのではないでしょうか。
 そしてそれが猟奇的なものを、エロを、グロを、そして馬鹿らしい、空虚さを世の中に広め、受け入れられていったのではないでしょうか。

 私も思うのです。
 もう一度大震災の刺戟を味わいたい。
 時には苦痛さえも人間にとっては快楽になり得ます。
 グロ画像を見て、グロい動画を見て、ほらどうでしょう、津波で流されていく車、明かりが消えると人が死んだのがわかります。あのテレビの映像を見て、人々は刺戟を受けました。言葉では言い表せないほどの強い刺戟を。そしてまた刺戟が欲しい、まるで麻薬のように、刺戟を求め始めます。

 4月の熊本地震によってこうした私の妄想は、もはや確信へと変わりました。
 世界は不況です。かつて日本をリードした電機産業や、三菱ですら苦しい、みな苦しい、一歩間違えば、「贅沢は敵だ」というかつてのフレーズを繰り返しかねない。
 アメリカではトランプ氏という得体のしれないデマゴーグが、大統領になろうとしている。きっとアメリカ人も苦しいのだろう。そして、トランプ氏なら世界を変えてくれるかもしれない、藁にもすがる思いとはこのことか。
 日本人も苦しい。消費税増税に、安保法案をめぐっての意見の対立、私は国会図書館に通う道すがら、安倍首相に対して辛辣な言葉をぶつける人々の声を毎日のように聞いていました。
 苦しいのが、怒りに変わる。爆発しそうだ。どうにかなりそうだ。
 そんな時、エロは、グロは、空虚は、鎮静剤になります。
 そうだ。あの刺戟さえあれば、世界は平和になるかもしれないぞ。

 私は狂っているのでしょうか。いや、トランプ氏や安倍晋三を祭り上げる世の中が狂っているのか。私に出来ることは、刺戟に飢えた人々に、飢え死にしそうな人々に、鎮静剤を打ってやること、ただそれだけです。

 世界を平和にするために、私はエロ・グロ・ナンセンスの文化を今ふたたび、世の中に広めていきます。