2019年10月1日火曜日

アートは政治を志す

 「あいちトリエンナーレ」の企画「表現の不自由展・その後」をめぐり、文化庁が補助金不交付を決定したり、愛知県知事と名古屋市長で意見を対立させたり、もはやアートの現場に限られない、政治を巻き込んだ事態になっています。
 けれども、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」を掲げる現代アートにおいて、そもそもアートが政治を巻き込むのは必然でした。

ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)とは、アートワールドの閉じた領域から脱して、現実の世界に積極的に関わり、参加・対話のプロセスを通じて、人々の日常から既存の社会制度にいたるまで、何らかの「変革」をもたらすことを目的としたアーティストの活動を総称するものである。

 このようにSEAリサーチラボが定義するように、フランスのキュレーター、ニコラ・ブリオーがリレーショナル・アートを掲げて以降の動きにおいて、アートが、アートワールド、すなわち従来芸術に関わってきた人々の領域を超えて、社会の変革を目指すことが是とされているのです。
 そこでは、アートを芸術作品として美的に分析するのではなく、実際の社会や政治において作品がどのような有用性を持つのかが重視されます。

 そもそも「あいちトリエンナーレ」は、行政などが主体となって開催されるいわゆる「地域アート」であり、そこにはまちおこし的なニュアンスが多分に含まれています。
 今回、補助金の不交付を決定した文化庁が参考資料として挙げた『文化資源活用推進事業事業概要』によれば、「事業の目的」として文化による「国家ブランディング」の強化」が掲げられています。
 すなわち、このまちおこし的芸術祭の目的には、アートによって日本のブランド価値を上げていくという要素が含まれているのです。 
 そこで、今回のような作品が展示されてしまった。そこで問題が生じているのです。 
 そもそもアートや文化を使って日本のブランド価値を高めようとする姿勢そのものが私としては気に食わないものではありますが、あくまでも文化庁がその意味で地域アートを展開しているのであれば、今回は「あいちトリエンナーレ」側が分が悪いと考えざるを得ません。

 「アートでまちおこし」のために、主催者は、政治家や役所の人間とやり取りをし、いかにして「地域活性化」をするか話し合っています。また、「アートでまちおこし」をしているある自治体では、アーティストの移住者を増やしていくことで、将来的に、アート業界の地域での発言力を高め、政治の力で「アートのまち」へと作り変えてしまおうという動きすら見られます。
 アートが社会の変革を目指す上で、もはやアートである必要はなく、政治活動になってしまう危険性をはらんでいる。それが「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」です。

 この先どこへ突き進んでいくのか、見守っていきましょう。