2019年1月25日金曜日

地元民とよそ者

 「あんた、別府の人?」
 別府のいわゆる地元の人たちが、初対面の人間と出会ったときによく口にする言葉だ。
 ここで、別府出身と答えるか、はたまた大分県内の別の場所と答えるか、県外と答えるかで、相手の扱いが変わってくるということが、結構ある。
 別府出身だと答えると、「どこの中学?」 という質問に移る。同じ中学だと知るやいなや、打ち解けた雰囲気を醸し出す。
 ある意味での出身地差別に繋がりかねないやり取りだが、人間は、出身地、学歴、職業などでグループを作りたがるものだから、仕方がない側面もある。

 私には、かつて東京の多摩市で役所の手伝いをしていた時期がある。
 そのとき、多摩市の中でも高級住宅街だと言われる桜ヶ丘のコミュニティの方とお話したとき、「どちらのご出身?」と品の良い婦人から尋ねられた。
 私は「大分県」と応え、もうひとりは「港区」と応えた。すると、次の瞬間から婦人の私たちに対する態度が明らかに変わった。私に対しては、「大分県、おほほ、ずいぶんと遠くから来たものね」と奇異なものでも見るような目で笑いながら言ったのに対し、港区と応えた同僚に対しては、なにかにつけ優遇するようになった。
 東京でも新興住宅地、と言ってもかなり古いが、においてもこうなのだ。

 話を大分に戻す。
 大分の老舗と言われる画廊に知人の画家を連れて行った時のこと。
 大分出身の画家の場合には、将来有望であり、大分の美術界を牽引する人間になって欲しいと褒めた一方、他県出身の画家の場合には、何でまた大分に、とへりくだりながら、よほどいい条件があったのね、と疑うような目つきで見られたのだ。

 もちろんこれが全てではない。
 開かれた人間ももちろんいる。そうした人たちは、主に東京や大阪といった都市圏に長く暮らしていた人たちや、いわゆる地方レベルでリベラルな人たちだ。
 どの業界でも保守と革新は存在する。とは言っても、冒頭のような、「別府の人」かどうかという問いかけが多く交わされていることは確かだ。

 私は別府出身の人間だから、下駄を履かされている。やはり地元民というだけで、守られているということは、いつも意識している。
 先日、大分県内で村八分があったというニュースが世間を賑わせたが、別府はAPUの影響で外国人が多いことから、大分県内では一番よそ者に寛容な町だと、これは間違いなく胸を張って言えることだ。
 それでもやはり「地元民」と「よそ者」は区別されてしまう。良いか悪いかではなく、その事実を受け入れた上での展開が求められている。