2017年11月17日金曜日

東京には疲れたよ、でも大分は面白くない

 代々木上原に住んでいた頃、よく元代々木町のすし勘分店に行って寿司をつまんでいた。そんなある日、黒塗りの車が止まり、急に店内から追い出されたことがある。入れ替わりに入店してきたのは現首相・安倍晋三氏だった。富ヶ谷に住んでいた安倍氏はこの店を愛用しており、彼が訪れるたび、店内の客は外に出される手筈になっていたのだ。

 叔母が通っていた四谷の雙葉という女子校には、現皇后の美智子様が通っていた。東五反田の今はねむの木の庭になっている正田邸のすぐ近くに叔母は住んでいる。短い間とはいえ、美智子様のご学友として過ごした思い出は、叔母にとって今でも大切なものだという。

 高輪の、啓祐堂というギャラリー兼書店には、菅直人元首相がよく訪れていた。まだ民主党が政権をとる前だったが、なかなか頭が切れる男として評判がよかった。けれども、首相としての評価は甚だ低く、何が彼を変えたのだろうと今でもみな不思議がる。

 六本木の、同郷の友が働いている料亭には、笑福亭鶴瓶がよく来る。テレビで見るイメージとはちがって、泥酔した鶴瓶はひどく傲慢だ。「俺は鶴瓶だ」と怒鳴り散らす。

 東京にいると、政治家や芸能人を身近で見ることができる。テレビ越しではなく、一人の人間として見つめることができる。
 議員会館で様々な人物と人間同士の話し合いが出来たことは、自分にとって大きなプラスだったと今でも思う。おかげで物怖じすることもなく、誰とでも対等に渡り合える自信がついたのだ。

 大分ではどうだろう。

 行きつけの画廊では、大分市長とすれ違う。大分銀行の頭取と、共通の友人を通した話し合いをしたりする。このローカルさに、嫌気が差したりもする。

 東京に居た時に感じたのは、周りの人物と自分との圧倒的な力の差だった。まだ二十代だったし、人生経験が少なく、常に萎縮していた。けれども同等に渡り合えるように、自分を演じていた。そのことに疲れたのだ。

 東京湾大華火祭を中央区長の隣で見ていたときですら、私は孤独を噛み締めていた。周りの凄さに圧倒され、自分を省みることもなく、雰囲気に酔っていただけなのだ。そして、家に帰るとひとりパソコンの画面を見て安心していた。

 今ではどうだろう。

 別府では西野達inBeppuというごく小さい規模の芸術祭に補助金が一億円ばかり払われているだけで、アートを毛嫌いし、行政を非難する。
 東京で、親戚が麻生太郎氏に呼びかけられ設立したファンドには、三十億円投資されている。
 一億なんてそれに比べれば微々たる額だ。けれども、別府という町にとっては大きな金額だ。

 二年間別府で過ごしてかなり人脈の幅は広がってきたと感じる。東京から逆に来た人々と別府で繋がれるこの環境は、とてつもなく裕福な気持ちに、私をさせるのだ。
 けれども、東京で築いた人脈が活かせていないとも感じる。
 これからどのような展開が待っているのか、わからない。
 しかし、東京での人脈と、別府の人脈がいつか接続できるのではないか、その可能性にワクワクするのも確かだ。

 大分は面白くない。それは東京と同じ軸で考えるからかもしれない。
 いや、ホームとアウェイでいうと、大分はホームだ。
 有利に物事を動かせていると感じる。
 果たして東京に戻ったとき、圧倒的な力の差が解消されているか、そこに向けて、前進している。