2017年8月21日月曜日

別府の日常つれづれ

 私はもともと別府で生まれましたが、東京で10年間を過ごし、別府にUターンした人間です。
 今回は、別府に暮らしてみて、発見したこと、違和感を感じたことについて徒然なるままに書き出してみます。

①別府で使われているSNS

 東京にいるとき、親しい友だちとはLINEで会話していました。あるいはTwitterのアカウントを交換し合ったものです。
 別府では、この「LINE」がFacebookメッセンジャーに、「Twitter」がFacebookになります。
 親しくなると、Facebookを交換しよう!となり、友達との会話もFacebookメッセンジャーを使う割合が非常に高いのです。
 市内で行われるイベント情報や、災害情報(地震や大雨など大分県は最近様々な災害に見舞われました)はすべてFacebookで流れてきます。
 Facebookを通して新しい店舗ができたとか、誰々が結婚したとか、市内で起きた出来事が次々に分かるのです。
 友達との会話も、別府市内に住んでいる人との会話は大抵Facebookメッセンジャーを使います。
 別府は立命館アジア太平洋大学(APU)があり、外国人が多く、また高齢者が多く若者が少ないので、Facebookの利用率が非常に高いのです。

②別府は物価が安い

 先の地震で現在は閉鎖中ですが、別府市には九州最古の公立美術館である別府市美術館があります。そこの入場料は、なんと100円なのです。それも企画展と常設展両方を見て100円なのです。それでも人が疎らなのがいかにも別府らしい。
 別府駅前に地元の人々に人気の定食屋があるのですが、そこはなんと10品ついて500円です。また、あるどんぶり屋はセットを頼んで300円です。
 東京にいても下町エリアにいるともしかしたら同様のお店があったかもしれませんが、この安さは尋常ではないです。喫茶店に行ってもドリンク一杯200円。ファミレスに行けばドリンク飲み放題で200円いかないのです。おそるべき安さの理由は、原材料や人件費(最低賃金が700円くらい)の安さのためでしょう。
 古着屋に行けば、服(Tシャツなど)が400円で売られています。
 古本屋では、ハードカバーの単行本が一冊50円で売られています。もちろんブックオフではありません。
 ああ、素晴らしきデフレ都市かな。

③「外資系」と地元民の賃金格差

 別府市内にはいわゆる中小企業しかありません。そうしたところは、初任給が大体15万円いかないくらいです。30代になっても年収200万円いかない人が多く暮らしています。
 別府市の平均年収はなんと268万円。物価は安いが給料も安いのです。
 それに比べて、東京や大阪に本社があって、別府支店に勤務している方たちは、かなり高い給料をもらっています。
 先日大江戸温泉物語が新しいホテルを別府市内にオープンしたのですが、従業員を募集したところ、とんでもない倍率になったといいます。ジリ貧な地元ホテルに比べて、「外資系」の給料は信じられないほど高いのです。
 東南アジアで日系企業の人々が裕福な暮らしをしている、その構図が、別府にも当てはまります。

④家賃は高い

 別府は家賃が高い。
 もちろん東京と比べると安いのですが、県庁所在地である隣の大分市と比べても高いのです。
 別府はもともと人が住める土地が狭く、人口密度が高いことと、「日本一の温泉都市」のプライドから家主が家賃を下げたがらないのが原因です。
 駅前の物件など家賃10万円ほど。ここは渋谷かどこかと錯覚してしまいます。
 商店街が廃墟のようになっているのもこの家賃の高さが大きな原因のひとつです。
 一時間に10人ほどしか歩かない商店街の飲食店が、毎月30万円ほどの家賃を払うのはかなり厳しいものがあります。
 家主たちは特にリスクを抱えていないので、借りる人がいなければそれでいい、とそうした態度なのです。

⑤観光都市の表の顔と裏の顔

 先日「湯~園地」というイベントが別府のラクテンチで開催されました。全国ニュースでも取り上げられたのでご存知の方も多いかと思います。
 別府でこの「湯~園地」の評判はどうだったかというと、アンチの方が多くいらっしゃいました。まず8000円という入場料が、年収の低い別府地元民からすると到底出せるものではなかったのです。また地元をないがしろにして観光客を優遇するのか、と非難の声があがりました。
 別府の竹瓦温泉をはじめとする市営温泉は100円で入場できます。そこに観光客が入ってくることを毛嫌いしている地元民(主に老人)が多くいます。あからさまに嫌な顔をしたり、極端な例をあげれば、観光客を減らそうと発言した自治会長もいたくらいです。
 別府の老人たちの地元愛は相当に強いです。だからこそ、観光客や移住者、いわゆるよそ者を嫌う人も少なからずいます。彼らは主に下町に住んでいて、地獄めぐりで有名な鉄輪などには少ない。

 ざっとつれづれに書いてみましたが、こんなところです。
 疲弊する地方、とよく言われますが、別府もそのうちのひとつです。観光客のほとんどが中国、韓国、台湾の人々で、 海外の資金に頼りながらなんとかほそぼそとみな暮らしています。
 星野リゾートやインターコンチネンタルホテルなど「外資系」が次々にあらわれる中、どう変化していくのか楽しみです。

2017年8月12日土曜日

自営業者の生活

 今回は、自営業者の生活について、実体験をもとに書きます。
 小売業を営む個人事業主の生活の実態です。

 特に会社員を辞めて事業を始めようという方に読んでいただきたい記事です。

①自営業者にとって最も大事なのはコミュニケーション

 会社の人間関係が辛いな、自営業者なら自由に自分の思い通りに仕事ができるから、と考えている方。その考えは間違っています。
 自営業になって感じるのは、とにかく飲み会の多さ。同業者、または同じ地域の自営業者、はたまた異業種交流会など、一週間のうちに何度も飲み会があります。
 そこで名刺を配って営業をかけるわけです。自分の存在を知ってもらわなければ、自分の店の存在を知ってもらわなければ、仕事がそもそも舞い込みません。
 生死がかかわっていると言っても過言ではないのです。
 また飲み会以外にも進んで異業種の自営業の方の店に顔を出し、自分のことを覚えてもらうことが大事です。とにかく自分を売り込まなければいけません。
 なぜなら、地元の情報誌や、情報サイトに載せてもらうためには、そのまとめ役の人間に気に入られる必要があります。そこで、飲み会においては自分のことを上手にアピールし、自分を売り込むことが求められているのです。

 また、会社においては、企業内に派閥があることが多いですが、それは自営業者の世界でも同じです。
 たとえば商店街なら、必ずその商店街の重要人物が何人かいて、その方たちが派閥を形成しています。どこの派閥に所属するかで、店にどのくらい集客があるのか、大きく差が出るのです。
 テレビのCMをバンバン打てるだけでの経済力があるのならまだしも、口コミなどが求められる場合、特に大きな派閥に所属し、自分のことをより多く話してもらうことが大切なのです。
 もし逆に、派閥を脱退しようものなら、ゴミ出しから、仕入れに関するまで、様々ないやがらせを受けることになります。
 あの店は◯◯派だから、やめておこう。あの店は同じ派閥だからよく顔を出そう。
 小さな個人経営の小売店の場合、お客様も同じような個人事業主である場合が多い。となると、派閥の中の力関係を重視することが大切です。派閥の領袖に気に入られ、グループの一員であり、なおかつ存在感をみせることが重要なのです。

②公私混同は当たり前

 会社員の場合、仕事の場合とオフの場合とで顔を使い分けている方も多いのではないか、と思います。
 その点、自営業の場合、仕事とオフの差がない、言ってしまえば24時間仕事をしているという緊張感を保ちつづけることが求められます。
 自分自身が店の看板を背負って町を歩いているようなものですから、たとえば喫茶店にいても、あ、◯◯という店をやっている方だ、ということで、◯◯の店長が喫茶店に来ていたよ、と次の日には噂になってしまうのです。これは私が事業をしているのが地方都市だからかもしれません。
 服を買うのも、食材を買うのも、常に周りの人々に見られている意識を保たなければなりません。そして、たとえ噂になってもよいという心構えが必要なのです。そのためには、いっそのこと周りのことは気にしないと割り切ってしまうか、あるいは常に清潔に保つことが求められるのです。

 ことさら気にしないといけないのが、色恋沙汰。前のパートナーが誰で、その前は誰で、今は誰だ、と周りの人々に完全に把握されています。隣町、いやそれでも足りない、隣県の相手と遠距離恋愛でもしないかぎり、必ず共通の知人がいて、そこから噂は瞬く間に広まってしまうのです。
 ですから、国会議員や俳優のように、身辺は常に清潔にしておくことが求められます。一度不倫などあやまちを犯そうものなら、一生その噂はついて回ります。

③まとめ

 ついつい一つの話題が長くなったので、項目が二つしか作れませんでしたが、まとめますと、自営業者は常に顔を売るよう心がけれなければならず、だからこそ身の回りは清潔に保たなければならない、ということです。フリーランスで活動している方なら共感されると思います。
 会社員の方にひとつ忠告したいのは、会社をやめて自営業を始めると、世間全体が「会社」になるということです。 オンオフを切り替えて活動したい場合はサラリーマンを続けましょう。全ての責任を自分で背負うことこそが自営業者に求められる素質なのです。

2017年8月1日火曜日

「魂の性別」展に寄せて

 魂に性別があるのなら
 その由縁はどこにあるのだろう
 自由な魂は身体を越えて表出する
 あらわれる本当の姿は
 魂の在り処を教えてくれるーーー

 書肆ゲンシシャは、2017年8月から、終期未定で、「魂の性別」展を開催いたします。

 展示する写真は、LGBTの古写真。今から100年ほど前の、ゲイの、レズビアンの、同性婚や異性装の古写真です。
 ゲイや、レズビアンの古写真は、一見しただけでは、本当に同性愛者なのか、それとも仲が良い友達なのか、不明なところが多々あります。
 そこで、今回は、同性婚や異性装など、セクシュアリティが前面に出ている写真を選び、展示することにしました。

 同性婚が認められたのは、まだ最近の、2001年、オランダでの話です。となると、100年前のゲイやレズビアンが、法のもとに認められていなかったにもかかわらず、同性婚を挙げ、その記念写真を撮影する姿からは、強い意志が感じられます。

 また、明治時代の日本では、 明治6年に発令された違式詿違条例で一般人の男装・女装が禁止されていたことがあります。江戸時代には男娼が存在し、同性愛が半ば公然と認められていたにもかかわらず、西洋化を推し進める明治政府によって取り締まりの対象になったのです。

 そうした経緯を踏まえてLGBTの古写真を見ると、なおさら感慨深いものがあります。

 また、ゲイに比べてレズビアンについて書かれた文献が少ないことも記しておきます。レズビアンは、確かに女性同士で恋愛を育んでいたものの、ゲイに比べて、当時社会の中心にいた男性たちの害にならないという理由で、さして気にかけられなかったという事情があります。ここでも、男性と女性という性差によって、差別が行われていたのです。

 性というものは、性器の形状や、体つきによって、表面的にあらわれています。それでは、人間の魂には果たして性別があるのでしょうか。
 人間の魂にもし性別がないのなら、 表面的な性にとらわれない自由な魂の表出があり得るのではないか、魂の意志があり、それに従うならば、当然尊重すべきではないか。
 そうした問いかけを、本展は含んでいます。

 ゲイの結婚式では、またレズビアンの結婚式では、多くの場合、片方が異性の格好をし、タキシードとウエディングドレスで揃えているところが気になります。
 あくまでも心は、男性と、女性という役割を担っていたのでしょうか。その辺りについても今一度問いかけてみたいと考えています。

 100年前と現代の、異なる社会、その中で人間の心はどのように変化してきたのか、その辺についても思いを馳せていただければと考えています。

 生と死の境界を曖昧にする死後写真の「永遠の命」展に対し、「魂の性別」展は男と女の境目を曖昧にします。
 ゲンシシャが発する新しい問いかけの、みなさまの回答をお待ちしております。