2017年5月30日火曜日

東京の思い出

 東京に住んでいた頃のことを、ついつい美化してしまう。
 十年間を過ごした代々木上原。地方出身者の僕には似つかわしい、低層住宅が立ち並ぶ閑静な街だった。近くには、吉永小百合の実家や、柳井正の邸宅、林真理子、渡辺淳一、奥田民生、徳川家の家があった。
 ロシア料理やフランス料理のこじんまりとした店が建ち並び、代々木上原駅の中にあるのが、マクドナルドではなくバーガーキング、吉野家ではなくなか卯というのも、この街のポジションをよく表していて、好きだった。
 新宿から急行で一駅目、東京メトロ千代田線も乗り入れていながら、商店街は下町の情緒にあふれていた。いくつかの食堂や喫茶店の常連になって、よくマスターと長話をしたものだ。
 かつて魚喃キリコが住んでいて、『南瓜とマヨネーズ』というこの街を舞台にしたマンガを書いていた。主人公たちが住んでいるのは実在のマンションで、全ての風景が実際に代々木上原界隈に存在していた。
 いまだに銭湯があって、北に坂をのぼっていけば、幡ヶ谷という戦争の空襲から焼け残った、やけに細い道が続く、別府に似た古い街があった。
 古本屋も、おしゃれだった。スピッツの草野正宗が住んでいたこともあるらしい。なるほどこの街はスピッツの歌の雰囲気にもよく似ている。
 休日になると他の街から人々がファイヤーキングカフェや有名イタリアンに訪れに来たが、代々木上原の住民しか行かないような、隠れ家的な美味しい店もたくさんある、懐の深い街だった。
 大山町や西原は緑が多く、どことなく女性的な感性をもった、良い街だ。 最近は邸宅が取り壊されてマンションができてきているらしい。それでも主な住民の層は変わっていないだろう。知る人ぞ知る閑静な住宅街には気取らない、肩の力が抜けた人々が住んでいる。

 東京の何がいいか。たくさんの人と会えることだ。これは間違いない。
 僕が通っていた美容室の美容師さんは、有村架純のスタイリストで、 また僕が通っていた茶道教室には、本木雅弘が来ていた。また茶道教室の大学教員を通じて、歌手の一青窈を知った。 町を歩けば荒木経惟と出会い、寿司屋に行けば安倍晋三が来ている。
 こんなこと、東京でしか味わえない。
 地方の人が東京に行って思うのは、おそらくテレビの中が、決して遠い話ではなく、すぐそばにある現実だということだろう。
 地方はまずそれだけの人口がいないのと同時に、人口密度が低いので、車を走らせなければ、主要なイベントに参加することもできない。
 それが東京と地方の格差だろう。
 大分では松任谷由実が歩いているとみな驚いてカメラを向ける。タモリがいると彼を目がけて多くの人たちが集まってくる。

 たしかに東京にいる間に人脈の幅は広がった。けれども、人と人とのつながりは薄く、それほど深い付き合いはできなかった。
 大分では人と人とのつながりは濃い。野菜などを分け合い、ちょっとしたことで集まり、パーティーが始まる。
 マンションに比べて気密性が低い木造の古民家に住みながら、オープンな付き合いをしている。それがとても気楽なのだ。
 少しずつ大分に馴染んできている。足りない刺激などネットを見ていればいくらでも満たせる。
 時間がはるかにゆっくりと過ぎている。東京は人々の歩くスピードもさながら、一日の長さが地方とちがうのだ。