2016年11月28日月曜日

これから本屋を経営することについて

 書肆ゲンシシャはなぜ別府にあるのか。
 以前は威勢のよいことを書いたが、現実的な、本心を言うと、リスクを取りたくなかったというのもある。
 今日、ニュースで岩波ブックセンターを経営する信山社が破産したことを知った。
 東京で過ごすうちに、何度も足繁く通った場所だ。他の店では絶版になっていてすでに手に入らなかった岩波書店の本が新品で置いてある、良心的な店だった。
 いわゆる朝日・岩波文化にどっぷり浸かってきた私にとっては都会のオアシスのような存在だった。
 その岩波ブックセンターが、1億2700万円もの負債を抱えて破産した。

 私の実感として、いかに売れている本屋でも、古書店も含めて、大幅な黒字経営を維持できているところは非常に少ない。効率的に、倉庫を家賃の安い田舎に持ち、ネットで売りさばく、そういった一部の本屋だけが「勝ち組」として黒字を維持しているのだ。

 ゲンシシャはどうか。赤字になる月もある。黒字を出せたとしても、大した額ではない。

  これから本屋はどんどん潰れていくだろう。ゲンシシャを開くときも、黒字経営などははなから望んでいなかった。だから、リスクが少ない別府に開いた。実家もあるわけだし、食うに困ることもない。家賃は店舗分だけで済む。ローリスク・ローリターンの安全パイを選んだわけだ。

 今、ゲンシシャを経営している中で、私はそうしてはなから成功を捨てている。少しだけでも、当たればいいな、ぐらいに思っている。だから気楽に構えていられる。ヤケクソになっている面も否めない。けれども別府にいる限り大きな借金を背負うこともない。やり続けていれば、いつか何かが起こるかもしれない、ぐらいの気持ちでやっている。

 だからって手抜きをしてるわけではない。いつでも私らしく、全力投球をしている。
 その球がいつか、どこかに届き、誰かすごい人が打ち返してくれるのではないか、そうした淡い期待を込めて、私は別府で過ごしている。

2016年11月14日月曜日

平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか

 書肆ゲンシシャはテーマの一つにエロ・グロ・ナンセンスを掲げています。
 これは昭和初期、世の中の風紀が乱れ、カフェーでは男たちが若く健康的で明るい女性を見て憂さを晴らし、巷ではエロ小説が溢れていた時代「昭和エロ・グロ・ナンセンス」の時代と、現代とが似ている、すなわち今は「平成エロ・グロ・ナンセンス」の時代なのだという私の仮説をもとにしています。
 今回はこのことについて語りたいと思います。

 昭和初期、世界大恐慌とそれに追い打ちをかけるように発生した関東大震災の発生によって、人々は疲弊し、閉塞感が世を支配していました。人々は明日どうしようか、と考える気にもならず、今さえ良ければよいという発想から、刹那的な享楽に身を委ねるようになったのです。
 当時は同時に地下鉄が走り始めるなどモダニズムが世の中に広まっていた時期でもありました。そして、 カフェーなどでこれまで家の中にいることがよしとされてきた女性たちが働き始めた、すなわち女性の社会進出にも繋がる時代でした。
 そうした中、梅原北明、江戸川乱歩、酒井潔といった現代の澁澤龍彦に連なる(このことについてはまた日を改めて)出版人、作家、翻訳者たちが現れ、文学でも低俗とされていたエロ小説が跋扈するようになります。

 同時期、アメリカはどうだったかというと、狂騒の20年代といいまして、第一次世界大戦が終結し、ニューヨークがロンドンを抜いて世界一の都市になり、自由な風潮が世に広まっていました。黒人差別などもいったんは影を潜め、ジャズが流行り、セクシャルマイノリティがマンハッタンを自由に歩ける時代が来たのです。
 けれども、悲しいかな、世界大恐慌から抜け出せなかったアメリカは、現代、トランプ大統領が求められたように、保守的な、世の中を変革してくれる強力なリーダーシップを求め、その後差別がふたたび世の中に広まることになるのです。
 一般論として、人間は窮すると保守的になるのです。

 さて、日本ではどうだったかというと、ハリウッド映画の輸入も旺盛で、アメリカにあこがれていた日本人たちはまたアメリカと同じ道を辿ります。
 「昭和エロ・グロ・ナンセンス」は、満州事変とそれに伴う内務省による締め付けの強化によって終わってしまうのです。
 それ以降はもうみなさんご存知のように、大日本帝国は戦争の道へとまっしぐら、突き進んでいってしまう。

 では、現代の平成の世はどうか。
 リーマンショックが株価を下げ、景気全体を押し下げたまさにそのショックから世の中は立ち直れず、さらに追い打ちをかけるように東日本大震災が発生し、津波が押し寄せ、死体が山のように築かれるショッキングな映像がお茶の間に流れました。
 そして、これは世の常なのですが、エロ・グロ・ナンセンスはそれまで低俗とされてきた場所で花開く。
 それが今回はアニメ・マンガだったのではないか。
 『PSYCHO-PASS』や『甲鉄城のカバネリ』に描かれた悲惨な世界、血しぶきがあがり、人と人が殺し合う世界。映像技術の発展もあって、残酷描写が増えました。
 マンガでも『進撃の巨人』などのいわゆるサバイバルモノ、生き残りをかけて命がけの物語が展開されるようになってきたのです。
 また、アートの世界でもこれまでにないほどのアウトサイダー・アート・ブームが訪れています。基本的なアール・ブリュットの意味を間違えるかたちで障害者アートが世の中に広まってきているのです。トランプ氏がアウトサイダーと呼ばれていたことを思い出します。世間は、これまでとはちがった、珍奇なもの、アウトサイダーを強く欲するようになってきているのです。
 また、慶応の法科大学院生が起こした弁護士の男根切断事件も記憶に新しい。

 そして、LGBTの人権がこれほど声高に叫ばれている。レインボーパレードに私も参加してみて、その力強さに驚きました。そして、安倍首相が推し進めようとしている男女平等、男女均等の言葉。

 考えすぎでしょうか。「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と現代とが不思議と似通って見えるのです。
 ポケモンGOといった新しい製品に世の中は驚き、またJ-POPでは懐メロが流行っている。
 次第に文化自体が懐古主義にとらわれ、縮小、衰退しつつある。
 珍しい、一過性のネタが巷にあふれ、ものすごい勢いで消費されていく。ピコ太郎も言ってしまえばそのひとつ。
 刹那的な享楽をみな楽しんでいる。

 こうした動きには必ず反動が来ます。トランプ大統領がそうだと決まったわけではまだありませんが、保守的な政治家が、あるいはかつての軍部のようなものが、これはイカン、ということで幅を利かせる時代が必ずやってきます。
 それがいつかは今の私にもまだわかりません。
 「平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか」今回のブログの題に対する答えはまだ持ち合わせていません。けれど、「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と照らし合わせた時、終焉はもはや目前にまで迫っている、そんな気がするのです。
 将来「平成エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれるこの時代を今のうちに謳歌しましょう。そして、備えましょう。
 閉塞感に耐えきれなくなった人々の不満が爆発する、その日に。

2016年11月7日月曜日

ゲンシシャを運営している上での気づき

 今回は、書肆ゲンシシャを運営し始めて半年が経つのですが、その間に得た気づきについてお話したいと思います。

①ネットと現実は異なる

 当たり前のことですが、この点をしばしば忘れがちになっていたことに改めて気付かされました。
 ゲンシシャはご存知のようにFacebookやTwitter、InstagramといったSNSを通して広報活動を続けておりますが、こちらの反応と、現実世界での物の動き方が全く異なる、という点に気づき、大変おもしろく思います。
 Facebookでいいねが大量についても、Twitterでいくらリツイートされても、Instagramでハートマークがいくらついても、現実にその商品が動くことはありません。これが現実です。1万リツイートされた商品に関して、一度も問い合わせがなかったことが多々あります。
 ネットでの人気が購買意欲に繋がるか、と言われると、大きなクエスチョンマークがつくのです。
 逆に、ネットでまったく反応がなかった品物について、電話でお問い合わせいただき、販売したものもあります。何とも興味深い現象です。

 次に、ヤフーオークションについて。当店は、ヤフオクを通じて商品を販売しておりますが、現実に店舗にあって、どなたも興味を示さない品物でも、ヤフオクでは驚くほど多くの入札を得られるものがあります。これもまた興味深い現象です。対面販売と、ネット販売では、まったく好まれる商品が異なるのです。ネットでは全く入札がなかった商品が、店に置いておくとたちまち売れたということもしばしばあります。

 このように、商売をしていく上で、ネットと現実は完全に分けて考えたほうがいい、というのが私の結論です。 ネットと現実との差がなくなりつつある、といった言説もみられます。ですが、これは事実です。

②東京の常識が全国で通じるわけではない

 こちらは別府という地方にゲンシシャが位置することから得られた気づきです。
 東京では、マンガの博物館が国や明治大学によって建設されようとしています。安倍首相もマンガを輸出産業に育てようと頑張っています。地方ではどうか。あれほど話題になったワンピースの映画ですら、ガラガラで、全く客が入っていない状態です。ただでさえ落ち目なAKBなら尚更。AKBのファンを名乗る人間など百人いて一人いるかいないか、それが地方の現実です。
 別府では深夜アニメなどどこでも放送されておらず、マンガやアニメ好きというのは、東京以上にマイノリティなのです。

 では皆なにをしているのか。 パチンコ、ゴルフ、麻雀です。この三つを趣味としている、あるいは中毒になっている人間が大勢います。美術館も博物館も図書館もいつ行っても誰もいない。東京にあるからこそ上野の美術館に行列ができるわけで、到底地方では考えられません。

 また、人と人との距離の近さも地方ではいまだに残っています。近所からご飯のおすそ分けをいただくことも珍しくありません。回覧板と町内会によって近所の方たちはみな顔見知りです。東京でマンション暮らしをしていると忘れてしまいがちな感覚です。

 別府では店が開店時間通りに開くことなんてむしろ珍しい方で、店員の方が客に対して丁寧語を使うと、むしろ客のほうが気を悪くするという、そんな状況です。

 地方にはその地方独自のルールがあり、東京など大都市圏のルールがそのまま通用すると思ったら大間違いだということを、特に移住を考えている方には知ってもらいたい。

③まとめ

 他にも数えられないほどの気づきを得ましたが、今日のところはこの二点について書いておきたいと思います。現実とはとても奇妙なもので、まさしくゲンシシャが求める珍奇なるものとは、この奇妙な現実すべてではないか、そんなことすら思えてきます。
 今では地方の人間がそもそもマイノリティではありますが、ゲンシシャ店主もその一員として、片隅から情報を発信し続けていきます。