2016年12月16日金曜日

ゲンシシャという作品

 別府のアーティストたちから、リュウゴクさんは何か作らないの? とよく聞かれる。
 小説を書け、特に私小説を書けなんて言われるけど、小説なんて書いたら神経衰弱が悪化して死にかけるのが目に見えているし、ましてや自分のことをさらけ出すのが大の苦手な僕にとって、SFは書けても私小説なんて到底書けない。

 僕にとっては、ゲンシシャが作品なのだ。
 その物の配置の仕方、蒐集している本や古写真、オブジェ、そういった驚異の部屋であるゲンシシャ自体が僕の作品なのである。
 ゆえに、売上なんてさほど気にしていないし、自由気ままにやっている。
 シュヴァルの理想宮なのだ。
 僕がもっとも尊敬するアンドレ・ブルトンが讃えたあの「宮殿」だ。
 ゲンシシャはそれに限りなく近く、法科大学院を出ながらわけのわからないことを続けるアウトサイダーである僕の、 行き着いた境地なのだ。

 ゲンシシャにシステムはない。
 けれども、構造みたいなものはある。今日はそれについて書く。
 まず一番外側に本がある。世間的にゲンシシャは古本屋であるから、本を扱っている。
 Twitterなんかで紹介している綺麗で素敵な画像をたくさん載せた本だ。
 そして、その内側に古写真、絵葉書がある。Instagramに主に載せている、僕の趣味全開の、奇形、死体、少女、芸者、そして発禁をキーワードにして集められたアイテムだ。
 僕が古写真を蒐集するうえで、ポイントにしているのが、人の認識を撹乱することだ。
 奇形児や死体を見て、グロテスクと思い、隠蔽されたものの発現は人の意識に変化をもたらす。
 そして、アメリカの日本人収容所や、人類館事件の写真はある人達の神経を逆なでし、ある人は怒り、ある人は泣き、悲しむ。
 アスタルテ書房でのトークイベントでいわれた「画像の暴力性」にとても意識的なのが僕だ。
 一枚の画像が一人の人生すら狂わせるかもしれない。それだけの力がある写真を選び、集めている。
 そしてその最も核にあるのが、僕だ。つまりゲンシシャは僕なしではあり得ない。だから従業員も雇わないし、いつも机には僕が座る。

 ゲンシシャは僕の精神構造を明らかにしてくれる。表向きは、綺麗で、素敵、高級志向、落ち着いていて、物静か、けれども内部は、激しく、暴力的で、怒りや憎しみに支配されている。

 ある意味究極の自己満足だろう。
 そこから、僕は精神を、価値観を撹乱させる画像を投げかけ、問いかける。
 これがゲンシシャの基本的なスタイルだ。

2016年12月3日土曜日

石原慎太郎というアーティスト

 石原慎太郎、今の若い世代からすると石原都知事のイメージが強いだろう。
 マチズモ、といったイメージが大変強く、朝鮮人らに対する差別発言も度々問題になった。
 そして現在、豊洲新市場の問題でふたたび、悪い意味で、脚光を浴びている。
 裕次郎の兄、芥川賞作家として人気を博した独裁者は、トランプ氏とも比較されている。
 彼は一体何者なのか。

 石原慎太郎はかつて、澁澤龍彦によって、大江健三郎と共に未来の日本文学を背負って立つ男として、名前を挙げられたことがあった。
 何を隠そう、石原ファンの私は、中学生の時、かの有名な『太陽の季節』と同じ文庫に入っている『処刑の部屋』を読んでいたく感銘を受けたものだ。サディズムと自由奔放さが入り交じった、当時の人々に与えた「新しさ」が今でも感じられる良い小説だった。
 次に読んだ『完全な遊戯』も素晴らしい。最近の慶應義塾や千葉大医学部の学生たちによる輪姦事件を彷彿とさせる、まさに新しく、そして普遍的な小説だった。
 中でも私のお気に入りは『聖餐』だ。AVを超えたAV、人間の欲望の極致を探る、バタイユ的な傑作長編である。『聖餐』を石原文学の最高傑作に推したい。
 かつて福田和也に高得点をつけられた『わが人生の時の時』もショートショートだが、秀作揃いなので、ゴーティエなどが好きな方にはぜひ読んでいただきたい。幻想文学に、日本固有の土着性が上手く反映された、それでいて俺様気質が伝わってくる、なんとも小生意気で頼もしい作品集だ。

 それに比べて田中角栄のことを書いた『天才』はどうだ。駄作だ。ゴーストライターが書いたものなんじゃないかとも思う。大体文体じたいがおかしい。あれは世に出してはいけなかった。『生死刻々』あたりでやめておけば良かった。

 前置きが長くなった。
 石原慎太郎は青少年育成保護条例の件もあって、表現者の敵として捉える人間が多い。
 表現規制推進派の中でも特に槍玉に挙げられた人物だろう。
 週刊誌に連載を持ちつつ、ゴシップネタを書かせない、まさにメディアをコントロールする「天才」は、 表現を上手く操ってきたと私は思う。
 都知事在任中に書かれた『聖餐』を読んでも、彼は表現者として、決して性を抑圧するつもりはないということが見て取れる。
 ではなぜ表現規制を推進するのか、それは彼の二面性、政治家と小説家の姿を上手く自在に使い分ける表と裏、その裏では自由な性を謳い、表では抑圧するかのように見せかけた、そういうことだったのではないかと考える。
 彼は自分を演じるのがとてもうまい。その点ではトランプ氏にも勝っている。強い、男根主義の、差別主義者を、支持率を高めるためにわざと演じていたのだ。

 その一方で、アーティスト石原慎太郎は、創造意欲も旺盛だった。首都大学東京や新銀行東京といった名前からして独創的なシステムを新しく構築し、世に問うてみせた。それがコケたからといって、石原氏にとってはどうでもいいんじゃないか。作ったことに意味があったのではないか。創造主になりたいというのは、アーティストなら誰しも思うことだ。
 新しい「東京」 を作りたかったのではないかと思う。かつてナポレオンがパリの街を作り変えたように。石原慎太郎のアーティスト魂は文学に留まらず、フィクションに我慢できずに、リアルに、歪な形で創造の手を着手させたのだ。
 石原は首都大学東京創設の際にインダストリアルアートコースを新設した。あの「ドブスを守る会」で世間を騒がせたところだ。結局、石原氏はアートを志していたのではないだろうか。もちろんそうだ。若い頃に描いたあの酒鬼薔薇聖斗を彷彿とさせる絵を見てもわかる。ヒトラーが、美大受験に失敗した、けれども石原氏は、作家として活躍すると同時に権力者の地位を得ることにも成功した。その意味で石原氏はヒトラーすら超える。

 石原都知事は芸術家・石原慎太郎でもあった。その点をもっと再評価してもいいと思う。
 様々な人間の心に残った一人の男、石原慎太郎。妻典子さんとのエピソードも実に純粋で、心惹かれる。なにはともあれ、魅力がなければ都知事を四期も務められない。
 今一度、研究者たちが石原氏を評価して欲しい。少なくともトランプ氏よりはアカデミック寄りな石原慎太郎を持ち上げるまではいかないまでも、評価せずに悪戯に蔑ろにするわけにはいかない。
 稀代のアーティスト、石原慎太郎を、芸術家としての姿から語ってくれる論客の登場を、私は今か今かと待ち望んでいる。

2016年11月28日月曜日

これから本屋を経営することについて

 書肆ゲンシシャはなぜ別府にあるのか。
 以前は威勢のよいことを書いたが、現実的な、本心を言うと、リスクを取りたくなかったというのもある。
 今日、ニュースで岩波ブックセンターを経営する信山社が破産したことを知った。
 東京で過ごすうちに、何度も足繁く通った場所だ。他の店では絶版になっていてすでに手に入らなかった岩波書店の本が新品で置いてある、良心的な店だった。
 いわゆる朝日・岩波文化にどっぷり浸かってきた私にとっては都会のオアシスのような存在だった。
 その岩波ブックセンターが、1億2700万円もの負債を抱えて破産した。

 私の実感として、いかに売れている本屋でも、古書店も含めて、大幅な黒字経営を維持できているところは非常に少ない。効率的に、倉庫を家賃の安い田舎に持ち、ネットで売りさばく、そういった一部の本屋だけが「勝ち組」として黒字を維持しているのだ。

 ゲンシシャはどうか。赤字になる月もある。黒字を出せたとしても、大した額ではない。

  これから本屋はどんどん潰れていくだろう。ゲンシシャを開くときも、黒字経営などははなから望んでいなかった。だから、リスクが少ない別府に開いた。実家もあるわけだし、食うに困ることもない。家賃は店舗分だけで済む。ローリスク・ローリターンの安全パイを選んだわけだ。

 今、ゲンシシャを経営している中で、私はそうしてはなから成功を捨てている。少しだけでも、当たればいいな、ぐらいに思っている。だから気楽に構えていられる。ヤケクソになっている面も否めない。けれども別府にいる限り大きな借金を背負うこともない。やり続けていれば、いつか何かが起こるかもしれない、ぐらいの気持ちでやっている。

 だからって手抜きをしてるわけではない。いつでも私らしく、全力投球をしている。
 その球がいつか、どこかに届き、誰かすごい人が打ち返してくれるのではないか、そうした淡い期待を込めて、私は別府で過ごしている。

2016年11月14日月曜日

平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか

 書肆ゲンシシャはテーマの一つにエロ・グロ・ナンセンスを掲げています。
 これは昭和初期、世の中の風紀が乱れ、カフェーでは男たちが若く健康的で明るい女性を見て憂さを晴らし、巷ではエロ小説が溢れていた時代「昭和エロ・グロ・ナンセンス」の時代と、現代とが似ている、すなわち今は「平成エロ・グロ・ナンセンス」の時代なのだという私の仮説をもとにしています。
 今回はこのことについて語りたいと思います。

 昭和初期、世界大恐慌とそれに追い打ちをかけるように発生した関東大震災の発生によって、人々は疲弊し、閉塞感が世を支配していました。人々は明日どうしようか、と考える気にもならず、今さえ良ければよいという発想から、刹那的な享楽に身を委ねるようになったのです。
 当時は同時に地下鉄が走り始めるなどモダニズムが世の中に広まっていた時期でもありました。そして、 カフェーなどでこれまで家の中にいることがよしとされてきた女性たちが働き始めた、すなわち女性の社会進出にも繋がる時代でした。
 そうした中、梅原北明、江戸川乱歩、酒井潔といった現代の澁澤龍彦に連なる(このことについてはまた日を改めて)出版人、作家、翻訳者たちが現れ、文学でも低俗とされていたエロ小説が跋扈するようになります。

 同時期、アメリカはどうだったかというと、狂騒の20年代といいまして、第一次世界大戦が終結し、ニューヨークがロンドンを抜いて世界一の都市になり、自由な風潮が世に広まっていました。黒人差別などもいったんは影を潜め、ジャズが流行り、セクシャルマイノリティがマンハッタンを自由に歩ける時代が来たのです。
 けれども、悲しいかな、世界大恐慌から抜け出せなかったアメリカは、現代、トランプ大統領が求められたように、保守的な、世の中を変革してくれる強力なリーダーシップを求め、その後差別がふたたび世の中に広まることになるのです。
 一般論として、人間は窮すると保守的になるのです。

 さて、日本ではどうだったかというと、ハリウッド映画の輸入も旺盛で、アメリカにあこがれていた日本人たちはまたアメリカと同じ道を辿ります。
 「昭和エロ・グロ・ナンセンス」は、満州事変とそれに伴う内務省による締め付けの強化によって終わってしまうのです。
 それ以降はもうみなさんご存知のように、大日本帝国は戦争の道へとまっしぐら、突き進んでいってしまう。

 では、現代の平成の世はどうか。
 リーマンショックが株価を下げ、景気全体を押し下げたまさにそのショックから世の中は立ち直れず、さらに追い打ちをかけるように東日本大震災が発生し、津波が押し寄せ、死体が山のように築かれるショッキングな映像がお茶の間に流れました。
 そして、これは世の常なのですが、エロ・グロ・ナンセンスはそれまで低俗とされてきた場所で花開く。
 それが今回はアニメ・マンガだったのではないか。
 『PSYCHO-PASS』や『甲鉄城のカバネリ』に描かれた悲惨な世界、血しぶきがあがり、人と人が殺し合う世界。映像技術の発展もあって、残酷描写が増えました。
 マンガでも『進撃の巨人』などのいわゆるサバイバルモノ、生き残りをかけて命がけの物語が展開されるようになってきたのです。
 また、アートの世界でもこれまでにないほどのアウトサイダー・アート・ブームが訪れています。基本的なアール・ブリュットの意味を間違えるかたちで障害者アートが世の中に広まってきているのです。トランプ氏がアウトサイダーと呼ばれていたことを思い出します。世間は、これまでとはちがった、珍奇なもの、アウトサイダーを強く欲するようになってきているのです。
 また、慶応の法科大学院生が起こした弁護士の男根切断事件も記憶に新しい。

 そして、LGBTの人権がこれほど声高に叫ばれている。レインボーパレードに私も参加してみて、その力強さに驚きました。そして、安倍首相が推し進めようとしている男女平等、男女均等の言葉。

 考えすぎでしょうか。「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と現代とが不思議と似通って見えるのです。
 ポケモンGOといった新しい製品に世の中は驚き、またJ-POPでは懐メロが流行っている。
 次第に文化自体が懐古主義にとらわれ、縮小、衰退しつつある。
 珍しい、一過性のネタが巷にあふれ、ものすごい勢いで消費されていく。ピコ太郎も言ってしまえばそのひとつ。
 刹那的な享楽をみな楽しんでいる。

 こうした動きには必ず反動が来ます。トランプ大統領がそうだと決まったわけではまだありませんが、保守的な政治家が、あるいはかつての軍部のようなものが、これはイカン、ということで幅を利かせる時代が必ずやってきます。
 それがいつかは今の私にもまだわかりません。
 「平成エロ・グロ・ナンセンスはいつ終焉するか」今回のブログの題に対する答えはまだ持ち合わせていません。けれど、「昭和エロ・グロ・ナンセンス」と照らし合わせた時、終焉はもはや目前にまで迫っている、そんな気がするのです。
 将来「平成エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれるこの時代を今のうちに謳歌しましょう。そして、備えましょう。
 閉塞感に耐えきれなくなった人々の不満が爆発する、その日に。

2016年11月7日月曜日

ゲンシシャを運営している上での気づき

 今回は、書肆ゲンシシャを運営し始めて半年が経つのですが、その間に得た気づきについてお話したいと思います。

①ネットと現実は異なる

 当たり前のことですが、この点をしばしば忘れがちになっていたことに改めて気付かされました。
 ゲンシシャはご存知のようにFacebookやTwitter、InstagramといったSNSを通して広報活動を続けておりますが、こちらの反応と、現実世界での物の動き方が全く異なる、という点に気づき、大変おもしろく思います。
 Facebookでいいねが大量についても、Twitterでいくらリツイートされても、Instagramでハートマークがいくらついても、現実にその商品が動くことはありません。これが現実です。1万リツイートされた商品に関して、一度も問い合わせがなかったことが多々あります。
 ネットでの人気が購買意欲に繋がるか、と言われると、大きなクエスチョンマークがつくのです。
 逆に、ネットでまったく反応がなかった品物について、電話でお問い合わせいただき、販売したものもあります。何とも興味深い現象です。

 次に、ヤフーオークションについて。当店は、ヤフオクを通じて商品を販売しておりますが、現実に店舗にあって、どなたも興味を示さない品物でも、ヤフオクでは驚くほど多くの入札を得られるものがあります。これもまた興味深い現象です。対面販売と、ネット販売では、まったく好まれる商品が異なるのです。ネットでは全く入札がなかった商品が、店に置いておくとたちまち売れたということもしばしばあります。

 このように、商売をしていく上で、ネットと現実は完全に分けて考えたほうがいい、というのが私の結論です。 ネットと現実との差がなくなりつつある、といった言説もみられます。ですが、これは事実です。

②東京の常識が全国で通じるわけではない

 こちらは別府という地方にゲンシシャが位置することから得られた気づきです。
 東京では、マンガの博物館が国や明治大学によって建設されようとしています。安倍首相もマンガを輸出産業に育てようと頑張っています。地方ではどうか。あれほど話題になったワンピースの映画ですら、ガラガラで、全く客が入っていない状態です。ただでさえ落ち目なAKBなら尚更。AKBのファンを名乗る人間など百人いて一人いるかいないか、それが地方の現実です。
 別府では深夜アニメなどどこでも放送されておらず、マンガやアニメ好きというのは、東京以上にマイノリティなのです。

 では皆なにをしているのか。 パチンコ、ゴルフ、麻雀です。この三つを趣味としている、あるいは中毒になっている人間が大勢います。美術館も博物館も図書館もいつ行っても誰もいない。東京にあるからこそ上野の美術館に行列ができるわけで、到底地方では考えられません。

 また、人と人との距離の近さも地方ではいまだに残っています。近所からご飯のおすそ分けをいただくことも珍しくありません。回覧板と町内会によって近所の方たちはみな顔見知りです。東京でマンション暮らしをしていると忘れてしまいがちな感覚です。

 別府では店が開店時間通りに開くことなんてむしろ珍しい方で、店員の方が客に対して丁寧語を使うと、むしろ客のほうが気を悪くするという、そんな状況です。

 地方にはその地方独自のルールがあり、東京など大都市圏のルールがそのまま通用すると思ったら大間違いだということを、特に移住を考えている方には知ってもらいたい。

③まとめ

 他にも数えられないほどの気づきを得ましたが、今日のところはこの二点について書いておきたいと思います。現実とはとても奇妙なもので、まさしくゲンシシャが求める珍奇なるものとは、この奇妙な現実すべてではないか、そんなことすら思えてきます。
 今では地方の人間がそもそもマイノリティではありますが、ゲンシシャ店主もその一員として、片隅から情報を発信し続けていきます。

2016年9月27日火曜日

松下まり子さんのこと

 先日、デルフィナ財団と提携する現代アートのCAFAA賞を受賞された画家の松下まり子さん。
 彼女は、ラース・フォン・トリアーの映画が好きだということで、不思議な縁を感じる。
 私が、関わったすべての作品を観たことがある映画監督は、グザヴィエ・ドランとラース・フォン・トリアー。二人とも性をテーマにしているという点では共通している。

 彼女と初めて会ったのは外苑前のギャラリーだった。
 可愛らしい方だと思ったが、あまりにも深淵なものを描いた絵に私は正直食指が動かなかった。私が好むのは、どちらかと言うと、ライトな、ドロドロとしたものが昇華された、“綺麗な”絵だ。しかし、彼女の絵は昇華が完全にはなされていない。もしくは昇華すること自体を放棄している。そうした諦めすらも感じさせる、いわば絶望を描いたものだった。
 絵を見たとき、感性に響くかどうかという視点と同時に、売れるか、多くの人に受け入れられるかという視点からも見てしまう私は、彼女の絵は埋もれていくものではないか、そう判断したのだ。

 彼女の絵をフランシス・ベーコンと喩える人間が多く見受けられる。しかし、私はまったく、そうは思わない。ベーコンの絵はいまだ昇華することを放棄していない。美しいという方向性以外にも、美的に高いものへときちんと持っていっている。
 しかし、松下まり子の絵はそうではない。泥のような、底なし沼のような、不快なものを不快なまま、ありのまま提示している。
 故に私は松下まり子の絵にアウトサイダー・アートに近いものを感じるのだ。常軌を逸脱した、得体の知れない、思考で読み取ることができないものを強く感じる。
 それは恐らく文字で表現することも、伝えることも不可能だろう。そうした不可能な、絶望を、絵という媒体で伝達しているところに彼女の凄さがある。
 凄さ、いや、すさまじさ、と言った方が適切だろう。並の人間ができることではない。私が恐らくそれをやってしまうと、一度試みただけで、心は容易く崩壊してしまう。
 彼女の心はそれでも壊れない強度を持っているのだ。それが恐ろしくもあり、楽しみでもある。
 彼女の絵は人に不快に思われることを全く恐れていない。むしろ平然として佇んでいる。
 その姿が畏怖を感じさせる。

 彼女の絵を見ると、男性は恐ろしいと言い、女性は美しいと言う人が多いという。なぜだろう。
 性や死をありのままに表現しているからだ。
 ゲンシシャに死体や奇形児の写真を遠方から見に来る客というのは、ほとんどが女性である。彼女らは、純粋な好奇心、いや、もっと深いものから、そうしたありのままのものを鑑賞したいと思うのだ。この心理は、言葉では表現できない。本能に根ざしたものであるからだ。
 生理的な、本能的なものをそのまま提示して、なおかつ平然とした態度を示す松下まり子の絵はこれからも多くの人間を畏怖させ、言語化されないもどかしさを抱かせながら、同時に心の奥底に残るだろう。

 太古から人間が持ってきた本能、あるいはもっと奥底にある記憶に松下まり子の絵は接続している。だから現代においてはアウトサイダーであり続けるし、独自の輝きをもって、そこにあり続けるのである。

元少年A『絶歌』を読んで

雨は空の舌となって大地を舐めた。僕は上を向いて舌を突き出し、空と深く接吻した。この時僕の舌は鋭敏な音叉となった。不規則なリズムで舌先に弾ける雨粒の振動が、僕の全細胞に伝播し、足の裏から抜け、地面を伝い、そこらの石や樹々の枝葉や小ぶりの溜池の水面に弾ける雨音と共鳴し、荘厳なシンフォニーを奏でた。甘い甘い死のキャンディを命いっぱいに含んだ僕の渇きを、雨の抱擁がやさしく潤してゆく…」(p.88)

 かつての酒鬼薔薇聖斗、元少年Aは、殺害した淳君の頭部を、土砂降りの雨が降る中、手提げバッグに入れて持ち歩いている様子を、こう表現する。
 ここには、過剰なまでに肥大化した自我、そして、記憶と妄想が混在する“美化”された事件の光景がみられる。

 元少年Aはこうも語る。

“イメージ”と“情報”と“言葉”。この三つが僕のリーサルウェポンだった」(p.132)

 まさしく元少年A(以後「A」とする)は、この本、『絶歌』を「リーサルウェポン」として現実に投げ出し、私たちの心を撹乱する。

 『絶歌』は確かに売れた。私が考えるに、エロ・グロ・ナンセンスが復活しつつある現代において、猟奇的なこの本は歓びをもって受容された。拒絶されながらの受容ほど、楽しいものはない。Aを賛美するものも、拒否するものも、この本が出版されたことをニュースで知った。Aを「ないものにしたい」人たちにも否応なくAの現在のありさまが伝わったのだ。
 それだけ見ても、Aにとっては、してやった事案だろう。

 コリン・ウィルソン、古谷実らの名前が登場し、三島由紀夫と村上春樹の言葉の扱い方の差異にまで踏み込む本書は、内容が濃く、じっくりと読むのに適している。決してゴシップ誌の感覚で読み流す本ではないのだ。
 このように言うことで、Aに加担していると受け取る方もいるだろう。しかし、この本が出版され、現実問題として、この本が売れてしまった以上、もはや素通りすることはできない。
 そして、私の読後感として、この本は読むに値する。 それはちょうど思春期に『地獄の季節』というジャーナリスト高山文彦の書いた本を何度も繰り返し読み、Aに寄り添った私だから言うのではない。純粋な一人の読み手としてそう判断したのだ。

 Aの事件については、不謹慎ながら、芸術と犯罪の境界について論じることができるものだと考える。精神病、精神病質、性的なアウトサイダーが起こした歪な事件。
 元少年Aというある意味究極のアウトサイダーは私の興味を強く惹きつける。
 『絶歌』を購入した読者の中にも同じ動機で手に取ったという方が少なからずいるだろう。

現代はコミュニケーション至上主義社会だ。なんでもかんでもコミュニケーション、1にコミュニケーション2にコミュニケーション、3,4がなくて5にコミュニケーション、猫も杓子もコミュニケーション。まさに「コミュニケーション戦争の時代」である。これは大袈裟な話ではなく、今この日本社会でコミュニケーション能力のない人間に生きる権利は認められない。人と繋がることができない人間は“人間”とは見做されない。コミュニケーション能力を持たずに社会に出て行くことは、銃弾が飛び交う戦場に丸腰の素っ裸で放り出されるようなものだ。誰もがこのコミュニケーションの戦場で、自分の生存圏を獲得することに躍起になっている。「障害」や「能力のなさ」など考慮する者はいない」(p.234)

 Facebookを始めとするSNS全盛期の今日、この言葉はさらに重いものとなっている。
 そこに“イメージ”と“情報”と“言葉”を武器に立ち向かっていくAの姿に、私はなにやらゲンシシャの仕組みを重ねてしまうのだ。没コミュニケーションと過剰なまでのコミュニケーションは紙一重だ。現代はSNSによって人と人とが気軽に繋がれるようになった反面、一人ひとりが孤独になった時代である。
 ゲンシシャはそこに“イメージ”と“情報”と“言葉”をもって、 挑んでいく。「リーサルウェポン」などという言い回しは使わない。ただ丸腰で、挑んでいく。

2016年8月28日日曜日

オススメのアニメ

 マンガ研究者として活動している上で、様々なマンガを読破してきた。
 いろいろな年代の、少女マンガ、青年マンガ、少年マンガ、SF、ホラー、四コマなど。
 けれども、アニメーションに関してはあまり見ていないかもしれない。

 とは言っても、幼い頃から衛星アニメ劇場は欠かさず見ていたし、親の目を逃れて曾祖母の家でクレヨンしんちゃんなどは当然見ていた。
 東京在住のあいだは深夜アニメも見ていた。
 いま、別府に暮らしていても、便利なことにネットでいろんな情報を得ることができる。
 今回は、今まで見た中で特に好きなアニメについて書こうと思う。
 五位まで、順位付けをしてみた。『エヴァンゲリオン』や『まどか☆マギカ』など有名作は除外しての順位付けであることを述べておく。

1. 『電脳コイル』
2. 『四月は君の嘘』
3. 『FLCL』
4. 『プラネテス』
5. 『ぼくらの』

 一位は『電脳コイル』。NHKが生み出した傑作だ。「あっち」として語られる空間の正体が分かった時の衝撃は忘れられない。単にSF作品としてのみならず、民俗学、心理学などにも通じる、難解だけれど謎解きを含めて楽しめる物語構成だ。
 すでに他の人も述べているが、最近流行っているポケモンGOと繋げて考察してみるのも可能だ。なにより、作中に登場する「電脳メガネ」が実際に販売されるのもそう遠くない話だろうから、本作の先見性に舌を巻く。
  主題歌を歌う池田綾子はもともとJR九州のCMから、九州を拠点に活動していた歌手であり、その意味でも思い入れがある。大分市の若草公園でライブが行われた際には色紙にサインを書いてもらった。透明感のある歌声が素晴らしい、実力派の歌手だ。
 英語の題名が「COIL A CIRCLE OF CHILDREN」というのも良い。

 二位は『四月は君の嘘』 。ちょうど私が東京を去るときに放送されていた作品だ。近年の作品だから説明は要らないかもしれない。実写映画化されることになって今でも話題に上がる。
 背景のカラフルな色が素晴らしいのは言うまでもなく、原作のマンガの良さをアニメーションがさらにふくらませた傑作。『いちご同盟』に想を得た話だけあって「あたしと心中しない?」と宮園かをりが話す場面は繰り返し見てしまうほど力が入っている。
 作中の演奏に加え、BGMも叙情性があって聞き入ってしまう。

 三位は『FLCL』。友人に勧められてDVDを中古の高い値段で買って見た作品だ。こちらも多方面で高評価を得ている上に、続編の制作が決定されて間もないものだから、あえて説明する必要はないだろう。鶴巻和哉監督の力作である。
 オタク好みだが洒脱な世界観と構成に惹かれる。この作品のジャンルはなにか、と問われた時に即座に応えられない独自性がたまらない。

 四位は『プラネテス』。高校時代に再放送で見たのだが、その時隣の部屋に住んでいたヤンキー風の大学生が熱心に見入っていたのが記憶に残る。
 キャラクターデザインが特に良かった。田名部愛のかわいらしさたるや言葉に余る。原作よりもアニメの方が好み。テロが蔓延する現代に今一度見返したい作品だ。

  五位は『ぼくらの』。放送された時期のかなり後に見たのだが、引き込まれる。こちらも同じく原作よりアニメをおすすめしたい。主題歌の「アンインストール」をカラオケで友人がよく歌っていた。確かに作品に合った神秘的な歌だ。死とはなにか、といった問いに加え、思春期の切なさも上手に表現された佳作。子供たちがそれぞれキャラ立ちしていて終盤まで飽きさせない。

 こう書いてしまうと名作揃いで面白くない順位表になったが、いずれも自信を持って他人に勧められる作品だ。繰り返し見ても新たな発見がある深い作品ばかりで、この文章を書いているあいだにもまた見たくなったシーンがいくつもある。
 参考にしていただければ幸いです。

2016年8月22日月曜日

幻視者とは何か

 私には一つの解明できない記憶がある。
 あれは別府市内の、曾祖母の住んでいた庭での記憶だ。
 私は当時小学生だったと思う。
 その日は晴れていた。風もなかった。
 庭には柿の木があったのだが、そこで一人遊んでいた私は、背後にふと何かを感じた。
 見ると竜巻のように風が木の葉を舞い上げていた。透明な何かがそこにはあった。
 その日から私は幻聴をきくようになった。
 けれども、数日後だったと思う。自慰にふけった後、眠りにつこうとした私は確かに声を聴いた。
 「なんだ、こんなものか」
 それ以降、幻聴は聴こえなくなった。

 幻聴こそきこえなかったものの、幼いころより内向的だった私は想像の世界で遊ぶのが好きだった。
 そこにはこの世界とは異なる、もう一つの世界、あるいはさらにその先にある二つ目の世界、というふうに無限の世界が連なっており、それぞれの世界に私の「友人」がいた。
 「友人」は人間とは限らなかった。怪獣や、ロボットのようなやつもいたと記憶している。
 そこでは空を飛ぶこともできるし、美味しいものを食べることもできる。
 魔法だって使うことができる。
 ある世界は極端に文明が発達しており、地上百階建てのビルだって建築されていた。
 そうした世界で、戦争が起きたり、破壊、そして再生を繰り返しながら、時間が進んでいた。

 その異界に入り込めなくなったのはいつだろう。中学二年生の頃だった気がする。
 ある日、私は異界に、当時は「仮想現実世界」と呼んでいた。その場所に別れを告げた。
 たまに覗いてみることもあった。異界では、夢のように、ある日そこを去った続きを、またそこを訪れた時に見る、また入ってみることができるのだ。
 そうした異界の活動は続いていた。けれど私の神経がそこに入ることに限界を感じ始めたのだ。

 けれど、今でも私は異界を見ることができる。
 異界、それはもはや一つの世界を構成してはいない。
 私は「現実」と呼ばれる空間の上からフォーマットするように、別の空間を見ることができる。

 私は、想像と妄想を区別する。想像とは、自発的に入り込むことができる異界、そして、妄想とは、意図せずに入り込んでしまった異界だ。
 この場合の私がいう異界とは、もちろん想像のほうだ。
 現在私が幻視する異界では、現実に存在するものとは異なったものが見える。
 それに触れることもできる。あるいは、触れた気になるだけかもしれない。

 異界に入り込む方法はこうだ。特定のSF映画、アニメーションなどを集中して見る。集中力がもたなくなりそうになっても、根気強く見続ける。そうすると気分がハイになってくるのだ。すると、自然と足が歩き出す。神経が刺激され、異界が見えるようになる。
 けれども、三十近い今の年齢では、異界に入り込めるのはわずか十分程度だ。
 やがて疲れてくる。

 かつて七万字の論文を一週間で書き上げたことがある。その時の私は、異界にあやつられていた。神経はハイになりっぱなしだったし、異界はもはや想像ではなく、妄想として私を支配しようとしていた。妄想はこう告げる。異界に入り込むと、死ぬぞ、と。

 今では落ち着いてきて、また自発的に異界に入ることができるようになっている。
 精神が安定してきたのかもしれない。
 けれど、異界に入り過ぎるのも問題だ。なぜなら、現実のつまらなさが際立ってくるからだ。
 だから私は異界に入る時間を制御している。現実界のものを食べたり、運動してみたり、そうした行為が私を現実に留めている。

 幻視者とはこういった行為が可能な者をいうのだろうか。だとすると幻視者も楽じゃない。
 幻視を続けることは容易いことではない。なにしろ、疲れる。その時はハイになったとしても、継続させるのは難しい。
 けれども可能性は秘めている。現実界とは異なるものを視る才能は、新しい発見に繋がるかもしれない。

2016年8月9日火曜日

「ゲンシシャグループ」構想

 こんにちは。猛暑日が続いていますがいかがお過ごしでしょうか?

 さて、現在わたしRyuugokuが運営している「書肆ゲンシシャ」ですが、その将来の展望について書かせていただきます。これまで何度も企画倒れと挫折を味わってきた私ですが、今回ばかりは本気ですので、戯れ言だと聞き流さず、どうか最後までお付き合いください。

 今は「書肆ゲンシシャ」、ネット上では単に「ゲンシシャ」 と呼ばれているこの施設。
 驚異の陳列室をテーマに本や珍品を並べてみたものの、スペースが手狭だったり、なんだったりと上手く機能しているとは、正直言えません。けれどもネット上での広告宣伝のため「ゲンシシャ」は徐々にですが浸透しつつあると、手応えを感じています。

 もともとこの「書肆ゲンシシャ」は、 Ryuugokuのコレクションを展示するという趣旨の他に、別府に文化施設を作るという思いがあって成り立ったものですが、最近弱気になっていることもあり、イマイチ機能していません。
 「書肆ゲンシシャ」は古本屋として、出版社として、カルチャーセンターとして成立していますが、古本屋機能はまだしも、出版社は資金面から、カルチャーセンターは場所の関係で、進展していません。これには私の怠惰な面が如実に現れており、反省しているかぎりです。

 そこで、この現状を打破すべく、「ゲンシシャ」を「書肆ゲンシシャ」のみならず、「シアターゲンシシャ」など、グループ化した上で、書店のみならず、映画や美術の分野にも積極的に乗り出していきたい、そう考えるようになりました。
 今でも「書肆ゲンシシャ」には、プロジェクターとスクリーンがあって映画上映会も充分開けるようになっています。 まずはこれを利用して「シアターゲンシシャ」発足とさせていただく次第です。
 そして将来的には場所を探し、「シアターゲンシシャ」という名の施設を開設したいと考えています。

 多角経営は企業が失敗するもとだということは充分承知しております。
 しかし相乗効果を目指す上で、 新しい事業を始めるのが有効だということも確かです。

 「ゲンシシャ」ブランドを高めること。それが「書肆ゲンシシャ」設立以来わたしが目指してきたことです。まだ気の早い話かもしれませんが、こうした意気込みのもと運営していることはお分かりいただきたいと思います。

 「ゲンシシャ」は新しい視覚をみなさまにもたらすために活動しております。

2016年7月30日土曜日

表現者としての力

 表現者とは一体なんだろう。
 また、表現者の力の源とはなんだろう。
 こうした問いに私はこう応えます。
 表現者とは、自らの心を文字又は画像として表象する者。
 表現者の力の源とは、心の機微、感情、 記憶である。

 表現者が描く、書くものは、表現者自身の心を掘り起こし、その原石を磨いたもの、すなわち、機微、感情、記憶の混沌を抉り出し、それを固めたものだと私は思います。
 そして表現者自身の「力量」、それは経験の豊富さだったり、想像力の豊かさだったり、そうしたものがそのまま表象されたもの自体の価値になる。

 ここで、また一つの問いを投げかけます。
 すると、その「力量」が特に試される心の機微、感情、記憶とはなんだろう。
 私の応えはこうです。
 それはつまり、嫌悪、怒り、トラウマであると。

 人を好きだから、どうしたのでしょう。好きという感情は持続が難しく、燃え上がった恋さえもいつかは冷めます。
 けれども嫌悪感というものは、確かにこちらも持続は難しいけれども、一人の人間、あるいは集団に対する嫌悪、ヘイトというものは、世の情勢を見てもわかるように、激しく、そして続いていくものです。
 怒りについてもそれは言えます。喜怒哀楽の中で、怒りこそが、唯一他人に危害を加え、場合によっては命をも奪うエネルギーを持っているのです。怒りとは最も強い感情であって、なおかつ他人に積極的に働きかけやすい心の動きなのです。
 良かった記憶、楽しかった記憶というものもまた、忘れやすい。安らぎは得られるけれども、椅子に座ってぼうっとする時に思い浮かべるものです。けれどもトラウマは、人を自殺に追いやります。 幼いころに迫害された記憶などは一生付き纏い続けます。そしてどんなに澄んだ心の持ち主でも、心を歪めざるを得なくなるのです。

  こうした嫌悪、怒り、トラウマこそが表現者の、人間の心を強くします。こうしたものを多く抱えた人間の文章、言葉、絵というものは、得てして強い。他人を寄せ付けない強度というものを持ち合わせています。
 ネットを覗いて見ればわかるでしょう。罵声の嵐です。こうした嵐を心に抱え、なおかつ心が壊れない程度の強さを生まれながらにして持った人間こそが、「力量」の高い表現者となり得るのです。

 私の考えは間違っているでしょうか。
 あなたの考えは綺麗事じゃありませんか?

 そして、私はこうも考えます。他人の嫌悪、怒り、トラウマを導き出せる人間こそが、強い指導者になると。
 石原慎太郎しかり、トランプしかり。

 邪悪な考えだと一蹴するのもまた人間として「正しい」在り方なのかもしれません。
 しかし、自分や他人の命さえもコントロールしかねない、嫌悪、怒り、トラウマは、世の人々の心の奥底でくすぶり続け、取り出され、昇華されるのを待っているというのもまた事実でしょう。

 表現者は必要悪たるべきだ。
 それが私の結論です。

2016年6月25日土曜日

書肆ゲンシシャはなぜ別府にあるのか

 書肆ゲンシシャを開設して、なぜ東京や大阪など大都市圏にないのか、遠いので残念ながら訪問することができない、といった声が多く寄せられています。

 なぜ書肆ゲンシシャは別府にあるのか。その理由について今回は書くことにいたします。

①東京一極集中に対する反感と地方から情報を発信することの大切さ

 私のTwitterにおけるRyuugokuアカウントのフォロワーは40%近くが東京の方々です。
 言うまでもなく、東京には人、富、文化、娯楽、ありとあらゆるものが一極集中しています。
 東京に居れば何でも手に入る---私もそう考えていた時期がありました。
 けれども、最近の生活スタイルを照らし合わせてみれば、ネットがあれば何でも手に入る時代へと移り変わっています。ネットさえあれば、地方にあっても不自由はありません。
 書肆ゲンシシャの販売ルートをネット上に確保しておけば、東京にあるのとさして変わりはないのです。
 実際に触れてみることに、会うことに価値を見出すことを私は否定しません。むしろ肯定します。
 東京にないものを、別府まで来て鑑賞する。そうしたスタイルがあっても良いのではないか。
 幸い別府は観光地です。ここでしかないもの、ここでしか見られないものを多く蒐集し、展示、販売するスペースとして書肆ゲンシシャは機能します。

②別府に対する愛郷心

 率直に言って、生まれ育った別府という町に対する愛郷心も大きく影響しています。
 私は中高時代を瀬戸内海を挟んだ対岸の松山で過ごしました。中高には大阪、神戸、福岡といった大都市から入学した人間も多く、まして大分県出身者は私ひとりだけでしたから、肩身の狭い思いをしました。
 近いようで遠い町松山で、別府という“田舎”出身ということで馬鹿にされるようなこともありました。松山には道後温泉があり、聖徳太子や夏目漱石が入った道後は、別府より格上だとされていたのです。
 そうした中で、少し歪な形ながら、私の別府に対する愛郷心は熟成されていきました。
 そして今、微力ながら別府の活性化のために行動したいという思いを実行に移したのです。

③別府があらかじめ持っていた文化

 別府には秘宝館がありました。町中の商店街に行けば、今でも妖しい置物が多々見受けられます。また、温泉旅館が配っていたとされるヌード写真、いわゆる“温泉写真”など、温泉地には性的なものが溢れているのです。
 商店街に堂々とソープがあるのを見て驚かれた観光客も多いでしょう。
 また、古くは地獄めぐりの一つに、八幡地獄というものがあって、鬼や鵺のミイラが置かれていました。
 別府にはもともとエロ・グロ・ナンセンスの文化の土壌があったのです。
 これが書肆ゲンシシャのコンセプトにもちょうど合う、ぴったりの場所だったのです。

 以上三点が、書肆ゲンシシャが別府にある大きな理由です。

 ぜひ別府にいらして、書肆ゲンシシャに足を運んでください。よろしくお願いいたします。

2016年6月14日火曜日

夢から醒めて

 前回からの続きになります。
 私は学部を卒業した後、法科大学院に進み、司法試験に受かるべく勉学に励んでいました。
 けれども、その日は突然やって来ました。

 ありきたりかもしれません。ですが、その日は2011年3月11日。東日本大震災の日でした。
 私は代々木上原の自宅で被災しました。偶然にも本棚がその日届くことになっていて、本は床に平積みにしていたものですから、怪我をすることは免れました。私は臆病者ですから、原発が危ないという情報をいち早く察知すると、別府に帰郷しました。
 ですが、東京にどうしても来て欲しいという昔からの友人の要望で、20日頃には東京にまた戻りました。 友人と会った日はちょうど雨でした。この雨に濡れてよいものか、おぞましい恐怖を感じました。

 私は池田山の、菅直人首相の秘書を訪ねました。テレビでは変わらず原発事故の危険性をうったえていましたが、大丈夫だろう、とのことでしたので、平和にも飲み会にうつつを抜かしていました。
 四月から大学院が始まり、揺れは続いていましたが、試験中、大きな揺れの中で全く動じることなく答案を書き続ける女学生の姿を見て、すごいなと素朴にも思っていました。
 津波に流される車の映像はやはり衝撃的でしたし、何しろ揺れを実際に味わったことは私の深層心理に大きな影響を与えました。

 その後、司法試験の方も上手くいかず、鬱屈として毎日を過ごしていました。将来に絶望した私は引きこもりになり、池田山の集まりにも顔を出さなくなりました。そして黙々と本を読み、芸術にふれる日々が始まりました。とにかく一日に何冊も小説、マンガ、哲学書を読み、東京中の美術館や画廊をまわる毎日が始まったのです。

 けれども、 このままでは無職です。法律系の資格をとって細々と暮らそうか、と思っていた矢先、この独学でまなんだ本や美術の知識がどうにかして活かせないものか、そう考え始めました。
 そして幸運にも表象文化論を学ぶ大学院に受かり、 マンガ史の研究を始めることになったのです。
 法学部卒の私にとって大学院でいきなり文学をまなぶという行為は大変なものでしたが、法科大学院では法の運用の仕方やその構造について教えられたものの、法はなぜ存在するのか、という根本的な議論がなされてないということに気が付き、文学的視点をもって法律を見ることの大切さを知る良い機会になりました。
 文学部の方々は法的解釈に関してよくわからず、法学部の方々は文学的な物事の考え方をうまく理解できない。 恐らく思考方法に決定的な違いがあるのでしょう。
 かつてある大学教授は石原慎太郎氏について、「彼は法学部を出ているが、考え方は文学部的だ」と仰っていました。叶うならばあの教授に、法学的思考と文学的思考の違いについて問うてみたいものです。

 かつて学部時代に表現の自由について学んでいた私は、マンガ史の研究の中でも表現規制について興味を抱きました。すると、かつて小説がわいせつであると規制された時代はもはや過ぎ去り、いまやマンガが矢面に立たされている。しかも高尚な法学理論では見えなかったが、よく事件の経緯を見てみると、わいせつ物頒布罪は恣意的な運用がなされていることがわかったのです。
 苦しみながら論文を書き進めるうちに、どうせなら自分がプレーヤーになってみてはどうだろう、表現を発信する側になってみてはどうか、そう思うようになりました。
 それは危険なことでしたが、同時に面白いものでした。禁忌を犯す快楽を私は幼い頃から求めていましたし、私にはお似合いの仕事でした。
 ゲンシシャがエロ・グロ・ナンセンスをコンセプトにしているのにはこうした経緯があったからです。司法試験の挫折をもってやけくそになっているのでは、という反論もあるでしょう。そうした批判は甘んじて受けます。

 数々の失敗を繰り返すうちに、とにかく資料収集能力に関しては他人よりも一歩抜きん出た能力を持っていることがわかりました。せっかくなのでそれを活かしたことをやってみよう。仕事になるかどうかはわかりません。自分の能力を最大限に活かす道を進んでいきます。

 「自分の信じる道」とは、自分の経験や能力を最大限活かせる道、つまり表現の自由に関する知識と、資料収集能力が発揮できる道です。うわべを取り繕うのではない、本当の自分の力をこれから培っていく次第です。

日常という名の夢

 これから書くことは私の日常です。東京で過ごすうちに遭った出来事、その一部です。
 しかし、これらは今の私にとっては夢のような出来事です。本当にあったのかもわからないような。
 こうした物事を書くきっかけとなったのは、昨日の安倍首相による別府駅前の街頭演説です。
 そこで 私は思い出しました。かつて東京で起きたこと、出会った人々、現在住んでいる別府では想像できない奇遇な出来事の数々を。

 私は別府で生まれ、思春期を寮の中で過ごしました。寮にはパソコンや携帯電話を持ち込むことができず、テレビすら百人いて一台だけ。まさに外界から閉ざされた環境で育ちました。
 中でも思い出深いのは、アメリカ同時多発テロ事件。テレビがない状況で、ラジオにかじりついて何が起こったのか、懸命に把握しようとしていました。

 東京に出ると、私の生活環境は一変しました。
 それには私の親族による影響が大きかった。
 私の叔母は品川区の池田山という高級住宅街に屋敷を構え、新橋などにビルを所有する富裕層でした。かくして私自身も代々木上原というハイソな住宅街の、ユニクロの柳井正会長の家の近くに住んでいました。
 叔母が案内してくれた人々、その方々はまさに東京の上流階級で、別府とは比べ物にならない裕福な生活に目が眩む思いでした。
 私は大学で法学を、特に憲法学についてまなぶ学生でした。中学から敬愛していた澁澤龍彦の「悪徳の栄え」事件は中でも私の興味を惹く判例でした。
 そこから表現の自由とは何か、という問いが生まれ、やがて当時世間を賑わせていた児童ポルノ禁止法について知りたいと考えるようになりました。

 そこで、奇遇にも私の叔父が秘書を務めていたことから、当時の、小泉内閣の法務大臣である森山眞弓議員と会う機会に恵まれたのです。森山議員は児童ポルノ禁止法に関して尽力されている方で、ぜひ会っておきたい人物でした。
 議員会館で森山議員と出会った時、私は肩書で人を判断する人間ではありませんが、この方にはどうしても敵わないと直感的に感じ取りました。 その雰囲気、眼力、容姿すべてにおいて圧倒的な存在感があるお方でした。女性初の官房長官を務め、女性初の総理大臣かと言われたこともあるお方とはその一回きりの交流でしたが、大変貴重な体験になりました。

 それは同時に政治力に取り憑かれた時期でもありました。叔母と同じ池田山の、叔母の友人にあたる方のご子息が菅直人議員のやはり秘書を務めていた関係で、図らずも、自由民主党と民主党の共に執行部にあたる方々の言うこと、為すことを身近に感じられた幸運な日々でした。
 そこでは、 ネット上ではやれ自民が、民主がと言うものの、実際は自民党も民主党も上流階級の方々を通して交流をもっている、比較的友好的な関係を築いているということを知りました。
 また、それほどまでに力を持っている東京の上流階級の恐さを実感する日々でもありました。

  池田山と松濤にお住まいなのは、政治家、芸能人、芸術家、宗教関係などそれぞれのトップに君臨する方々とそのご子息でした。そこでは学歴も関係ない、とは言え、学習院や日本女子など一定の知名度と難易度をもつ大学に通われていましたが、まさに天上人のような生活を送ってらっしゃるのです。ご子息たちは幼い頃から茶道、華道、着付けを習い、しかるべき家の妻になるべく花嫁修業を小学生から始めていました。

  そうした生活を送るうちに、私は驕ってしまいました。まだ大学生の青二才、仕方がないことかも知れませんが、自分の力でもないのにそうした人々の中で暮らすうちに、感覚が麻痺してきたのです。

 私は私自身の力をつけるために、故郷の別府に戻ってきました。確かに東京に残り、人脈を活かした仕事をするのが器用な生き方というものでしょう。しかし、あくまでも不器用に、自分の信じる道を貫き通したくなったのです。その「自分の信じる道」についてはまた日を改めて書きたいと思います。

 自分語りが長くなりました。どうかご容赦を。

2016年6月9日木曜日

言葉のコラージュ

 私は幼いころ、本を読むのが苦手でした。
 なにしろ読むのが遅い。ドストエフスキー『罪と罰』を一ヶ月かけて上巻を読み終えたあと、あまりもの疲労に下巻を読むことができなかった―――今では恥ずかしい思い出です。

 大学院生になって、速読術を身につけてからは、一日に三冊の本を読むようになりました。当然本屋で本を買ったのでは財布が追いつかず、図書館、それも国会図書館にひきこもって読書を続ける日々を過ごしていました。

 そうしている内に編み出したのが、「言葉のコラージュ」です。
 これが私の技、作品を生み出す唯一の手段といえます。
 小説の中に惹かれるフレーズをいくつか見つけ、それを継ぎ接ぎして文章をつくる。
 それが「言葉のコラージュ」。

 たとえば、
 『戸川昌子集』
 秘密クラブにて注文に応じて「死姦」「生き埋め」といった美しく豪華な料理が振る舞われる。「絞殺」では、黄色い駝鳥の皮の手袋とハイヒールだけを身につけた女性を材料にし、回転する円卓の上に載せ、パーティーに参加した男たちが交互に手術用のゴム製の手袋をはめ首を絞める。

 『小酒井不木集』
 人間の死後、心臓を切り取り摂氏三十七度に保たれた箱に入れ液に浸すと、渚に泳ぎ寄る水母のように拍動を始める。医学者は心臓が動く度に発生させる電気を計測し、恋愛曲線の製作を試みる。失恋した男の血液を失恋した女の心臓に通すと恋愛の極致が表れるという奇想に舌を巻く。

 これらは感想文のようにも見えますが、なんのことはない、小説の一節を繋ぎあわせてつくられた「言葉のコラージュ」なのです。

 かつて澁澤龍彦は言葉をコラージュする術を身につけ、多くの文を書いた。
 そのやり方を発展させる形でこの「言葉のコラージュ」を続けていきます。

2016年6月5日日曜日

豆塚エリ『いつだって溺れるのは』

 この度、大分県別府市在住の作家、豆塚エリさんが太宰治賞の最終選考に残り、大分県内では新聞をはじめ、各種メディアでそのことが報道されました。
 惜しくも受賞は逃したものの、叙情性豊かな、読む者に生きる感動を呼び起こさせる佳作です。

 豆塚エリ『いつだって溺れるのは』読了。
 激しいまでに感情を揺さぶられる作品だ。淀みなく綴られていく出来事にひとつひとつ感情が動かされ、登場人物の死でその堤防は決壊し洪水として溢れ出す。
 詩的あるいは私的に綴られた文章にどこまで自身の経験が詰め込まれているのか、現実と架空の狭間にたゆたう主人公と読者の感情が呼応する。
 題名から川上弘美の『溺レる』を思い出したが、別府から見た松山への憧憬が、地元あるいは作者自身の心に根ざした重さを感じさせる。
 女という性が障碍によって増幅される本作品は女性には感動を、男性には畏れを与えるだろう。
 いずれにせよ人生の重みを、歓び、悲しみといった感情の渦を思い出させてくれる佳作である。

 以上は、6月5日、別府市内の商店街で彼女の作品を読んだ際に書いた感想です。
 選考委員の方々の選評が待ち遠しい。

 太宰治賞の最終候補作を収録する『太宰治賞2016』は6月16日に筑摩書房から発売、Amazonでも販売されます。
 書肆ゲンシシャでは彼女のトークイベントも企画中です。
 よろしくお願いいたします。

2016年5月29日日曜日

書肆ゲンシシャは国会図書館へのアンチテーゼ

 こんにちは。Ryuugokuです。
 今回もまた、ゲンシシャの構想についてお話したいと思います。
 
 私は前々回の記事で「驚異の部屋」を作ると宣言しました。
 その第一フェーズとして、Twitter上に「驚異の陳列室」(https://twitter.com/wunderkammern)を立ち上げました。
 ここでは国会図書館に所蔵されていないものを中心に稀覯本を表紙の画像付きで紹介しています。なぜこの形式を採ったのかは前々回の記事を見てもらうとわかるので省略し、今回はその第二フェーズとしての「書肆ゲンシシャ」について語ります。

 私は本職をマンガ研究者として過ごしています。
 現在、安倍麻生その他の政治家によって声高に叫ばれているように、「クールジャパン」が日本では流行っており、それと連動する形で、各大学にマンガを研究、あるいは表現技法を学ぶ学部やコースが新設されています。(実際のところ少子化で学生を取り込みたい大学側のイイワケにすぎないわけですが)
  私は幼い頃からマンガを描いていましたが、どうも絵が下手で、結局脚本のみを担当するような形になりました。けれどもマンガに対する愛情だけは人一倍強い、なにしろ一日に大量のマンガを読む、これは中毒です、もはやマンガを読まなければ精神錯乱状態に陥ってしまうからです。

 少々前置きが長くなりましたね。そう、そうしてマンガ研究者として過ごすうえで、私は特にそのマンガの歴史を顧みる作業をしていたのですけれども、国会図書館には、マンガ、中でも中小出版社が出すようなマンガの単行本や雑誌は置いていないわけです。
 そして、最初は蔵書数や洗練されたシステムに圧倒されたものの、国会図書館には弱点があることに気がついたのです。

 そこから、国会図書館のデータベースをチェックしながら、国会図書館に所蔵されていない本を蒐集し始めました。 実際やってみるとわかるのですが、エロ関係の本はほとんどないですね、あそこには。図書館側がどうでもいいと思っているのか、それとも出版社側がアウトローなのか。

 そうこうするうちにエロ・グロ関係の本がたくさん手元に溜まってきたわけです。
 それを「驚異の陳列室」で少しずつアップしてきたのですが、どうでしょう、みなさん、こうした本は実際に手にとって見たいものではありませんか。
 そこで私は別府の地に国会図書館へのアンチテーゼとして「書肆ゲンシシャ」 を立ち上げたのです。ここで、国会図書館にはこれだけの本が所蔵されていないのだぞ、と言うと共に、ふむふむ、こうした本が蔑ろにされてきたのか、と暗い隙間を覗き見る感覚で、ゲンシシャにある本を見ていただきたいのです。

 最近では蒐集家としての欲望が先走って、生写真や直筆原稿などの一点ものにも手を出しているのですが、この最初の思いつきは忘れないでいたいものです。

 国会図書館に、国に、見向きもされなかった本に視線を向ける。反政府などと大げさなことは言いません。静かにそうした本の重要性を語っていきます。

2016年5月7日土曜日

書肆ゲンシシャ/幻視者の集い 開設にあたって

 私は、2016年2月29日、うるう年の四年に一度の日に書肆ゲンシシャを別府の地に開店しました。今回は、このゲンシシャの構想についてみなさまにお知らせしたく更新いたします。

 4月14日、熊本地震が発生し、別府でもこれと連動した揺れを感じました。
 私はすぐさま東日本大震災の記憶を呼び起こしました。
 これだ。この揺れだ。
 この揺れは私のトラウマであると同時に、楽しみでもある、と。

 書肆ゲンシシャのコンセプトのひとつにエロ・グロ・ナンセンスを挙げています。
 昭和初期、人々はカッフェや町のあちこちで、女性の体を触ったり、いやらしい小説や写真を蒐集、鑑賞していました。
 なぜそうしたことが起きたのか。一般には、世界恐慌や関東大震災で無力感や倦怠感を味わい、刺戟が欲しかったのだと言われています。
 けれども私は思うのです。関東大震災で、火災旋風を見て、数多くの死体を眼にした人々は、あの揺れをもう一度味わいたい、あのスリルを求めて、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる風潮を広めていったのではないでしょうか。
 そしてそれが猟奇的なものを、エロを、グロを、そして馬鹿らしい、空虚さを世の中に広め、受け入れられていったのではないでしょうか。

 私も思うのです。
 もう一度大震災の刺戟を味わいたい。
 時には苦痛さえも人間にとっては快楽になり得ます。
 グロ画像を見て、グロい動画を見て、ほらどうでしょう、津波で流されていく車、明かりが消えると人が死んだのがわかります。あのテレビの映像を見て、人々は刺戟を受けました。言葉では言い表せないほどの強い刺戟を。そしてまた刺戟が欲しい、まるで麻薬のように、刺戟を求め始めます。

 4月の熊本地震によってこうした私の妄想は、もはや確信へと変わりました。
 世界は不況です。かつて日本をリードした電機産業や、三菱ですら苦しい、みな苦しい、一歩間違えば、「贅沢は敵だ」というかつてのフレーズを繰り返しかねない。
 アメリカではトランプ氏という得体のしれないデマゴーグが、大統領になろうとしている。きっとアメリカ人も苦しいのだろう。そして、トランプ氏なら世界を変えてくれるかもしれない、藁にもすがる思いとはこのことか。
 日本人も苦しい。消費税増税に、安保法案をめぐっての意見の対立、私は国会図書館に通う道すがら、安倍首相に対して辛辣な言葉をぶつける人々の声を毎日のように聞いていました。
 苦しいのが、怒りに変わる。爆発しそうだ。どうにかなりそうだ。
 そんな時、エロは、グロは、空虚は、鎮静剤になります。
 そうだ。あの刺戟さえあれば、世界は平和になるかもしれないぞ。

 私は狂っているのでしょうか。いや、トランプ氏や安倍晋三を祭り上げる世の中が狂っているのか。私に出来ることは、刺戟に飢えた人々に、飢え死にしそうな人々に、鎮静剤を打ってやること、ただそれだけです。

 世界を平和にするために、私はエロ・グロ・ナンセンスの文化を今ふたたび、世の中に広めていきます。